2009年8月5日水曜日

大和説誤信の元凶『箸墓』と張政の知識

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:9頁

 この事実は、「邪馬壹国」という名を記録したのは、

 その国の誕生当時に伊都に駐在していた張政だということを確認させた。

 それ以前にはなかった国であり、国名なのだ。

 これは邪馬台国論争に決定的な判決を下して、再論の余地はない。

 もう一つの大和説の拠り所は箸墓の存在である。

 その墓を卑弥呼=百襲姫が奈良に居た証拠だと考え、

 当然そこはヤマトと呼ばれていたのだから

 「邪馬臺(ト)」と書かれていなければならない。

 「邪馬壹」は絶対に間違いだ! と信じて疑わなかったからである。

 だが現実に郡使として伊都に滞在して邪馬壹国の誕生を眼のあたりにした張政は、

 水行十日と明記して八代からが女王国だと報告した。

 彼ははるか東の奈良なんか知りもせず、

 またヤマトなどという地名も実在しなかった。

 あったのは彼の滞在の末期に新たに生まれた、

 殺馬、位宮、壹與、伊支馬などの名の元になった領土「壹国」が、

 女王国を意味する方言に当て字された「邪馬(ジォマ)」と結びついた

 生れたての「邪馬壹」という新しい国名だけだったのである。

 どこからみても邪馬臺国も、奈良の卑弥呼女王国も、絶対に存在し得ない。

 では大和説を生み、

 強く支えたかに見えた誤認悲劇の元凶

 「箸墓」とは一体?何なのか?

 これにも動かない完全な結論を出しておく必要がある。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月4日火曜日

八代以南が女王国。邪馬臺国はその首都の名

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:8頁

 『倭人章』の記録者は八代からが女王国だと明記しているのである。

 これは「大和説」だとどうなるか?

 牛津から東に千五百余里の地域は大分県の豊前で、

 その辺りに耶馬渓があるから、邪馬台国=耶馬渓説が出来上がるが、

 大和説は水行も、距離も、地名も、地理条件も、全てダメである。

 これはやはり「東行 至 不弥国」のプーミは豊前の沖縄発音であり、

 それが牛津から百里の位置が国境だるとすると、丁度そこに久留米がある。

 クルメはクーミ、プーミと方言変化するから、

 そこからが不弥国だという考証は完全になる。

 ついでに言えば「東南 至 奴国 百里」は

 佐賀県の首都・佐賀市一帯に当たることになるから、

 これまた3 世紀に2萬余戸あった大都会の子孫に相応しい。

 すべて決定的な条件が備っている。

 在来は「女王国=邪馬台」だとしていたから八代も「八マ代」に見える。

 これでも九州説の勝利には違いないが、

 陸行1カ月残ってしまうから結局納得できない。

 何故?こんなことになるのか?

 それは「女王国は邪馬台国ではない」という

 最重要要件を認識していないためである。

 女王国は総称で首都名とは別、

 それも邪馬台国ではなく壹與新政権誕生以後に生まれた

 新しい国名「邪馬壹国」であって、

 卑弥呼時代には存在しなかった。

 だから張政は卑弥呼と壹與時代を区別せず、

 その領域を総称して「女王国」と呼んだのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月3日月曜日

伊都から水行10日=千五百余里で八代

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:7頁

 次は「水行陸行」部分の里程を見てみよう。

 郡から女王国まで萬二千余里とあるのだから、

 それから「郡~伊都間の距離」を引けば、

 「伊都~女王国間の距離」が出る。

 それが「水行、陸行」と同じ部分の数値距離なのである。

 郡から狗邪韓国までが七千里、末盧まで三千里、

 伊都まで五百里だから計一萬五百余里、

 残り千五百余里が伊都~女王国間の距離なのだ。

 これを地図で計ってみると、ほぼ牛津~八代間の距離である。

 もちろんこれは郡使の聞書きでしかないが、

 当時は既に精密な天測や三角測量が行われており、

 その重要な器具が鏡であり、

 地方長官の名乗り「卑狗」も漢魏音の発音「ピク」で、

 オリエントの面積単位名からきている。

 これは『記・紀』に多出する「彦・日子」の沖縄発音で、

 領地を測量して農林牧畜の経済基盤とし、

 それに課税する資格を持つ者=貴族を意味する名乗りだった。

 それだけの文化背景をもったこの距離・行程記事は、

 郡使が聞き書きした概数ではあっても精度の高いものだったことは間違いない。

 さらに補足すると、オリエント由来の面積単位名には、

 この他にも耕地の面積=広さを表わす「セ」がある。

 これは我が国の「畝(せ)」に当り、

 バビロンの麦の量(体積単位)「1 セ」を撤くのに必要な畑の広さで、

 我が国でも南九州では現代でも田畑の面積を「1 シュ(升)撤き」と、

 太古の農耕文化通りに表現し続けている。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月2日日曜日

「至○○国○里」は「○○国まで○里」

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:6頁

 この「水行10日、陸行1月」は、

 一見暖昧でいい加減な表現に見えるため、

 『魏書倭人(ウワイト)章』そのものを粗雑な文献だと思わせ、

 「大和説」を発生させた原因の一つになっている。

 だが、これも読む方が「 いい加減」だったのであって、

 全文をよく読めば、この「水行10日陸行1月」や「水行2日」が、

 他の部分にさらに里数で表示されている。

 これは文献の正しい読み方を教えているから、

 この機会にお話ししておこう。

 旁国の後に狗奴国を書いた後、

 「自郡 至女王国 萬二千余里」と書いてある。

 いうまでもなくこれは帯方郡から女王国までの距離の「総括」なのである。

 ここにもう一つ、大切な証拠がある。

 それは「至女王国」である。

 この書き方は「至奴国~至不弥国~至殺馬国~至邪馬壹国という記事の、

 正しい読み方を説明して教えている。

 「自郡 至女王国」は「郡から女王国に着く」ではなくて、

 「郡から女王国までは」(萬二千余里ある)が正しい読み方である。

 だから伊都国を起点にした

 「至奴国~至不弥国~至殺馬国~至邪馬壹国」も総て、

 伊都国から「奴国までは百里」「不弥国までは百里」という、

 伊都を起点にした距離説明である。

 それを「至」は「着く」だと思い込んで、

 次々に連続通過するコースだと主張した大和説者は、

 余りにも漢文に無知過ぎたのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月1日土曜日

理由充満の水行十日、陸行一月コース

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:5頁

 しかし何故?そこで下船して、山越えコースを選んだのか?

 それは隼人町・国分市への最短距離であることと、球磨川沿いであるため、

 飲み水と野草、根菜・果実や川魚・カニ・エビ・川藻・鳥獣など、

 天産の食糧に恵まれていて、

 それらに飢えていた水行者たちには、極楽のように感じられたに違いない。

 それにも増して平素歩き慣れている古代人にとっては、

 足を使わない船上生活のほうが、

 地獄のように苦痛だったことも考えなければならない。

 だが八代~隼人コースには、

 さらに他に選択の余地のない必然的な理由があったのである。

 殺馬は壹国をマレー語で呼んだ名称で、

 壹與・壹国・伊支馬などを名乗る人々 は、

 隼人に都していた卑弥呼政権とは不仲で、女王政権に属さず、

 後にはその政権を武力で争奪した人々=敵だったのである。

 だから今の熊本圏に属した八代は安全だったが、

 それ以遠の薩摩には3度の食事を摂るために寄港することは愚か、

 沖を通過することも襲撃を受ける危険に満ちていたことを考える必要がある。

 だから八代⇒隼人間の陸行一月は、

 他には代替方怯も選択の余地もない、

 政治的にも経済的にも合理的な、唯一の上洛コースだったのである。

 すると今一つ、常に伊都で駐るという郡使の行動も理解できる。

 それは難路を歩く苦痛もさることながら、

 この紛争による深刻な危険を、

 避けるほうが大きかったのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
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 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月31日金曜日

伊都からは「放射状読み」以外にない

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:4頁

 伊都国に次ぐ奴・不弥・投馬・邪馬壹の記事は

 伊都を起点として放射状に読むしかなく、

 連続して通過するのではないと決定した。

 伊都は今の牛津以外にないから、

 その東は到底、水行できない陸地ばかり、

 それでも東へ行くのだと主張する人は、頭脳を疑われる。

 また水行10日の距離は九州を出ず、

 その後1 カ月歩いて行けるのは四国の西半分止まりで到底、

 奈良へは行けない。

 これひとつだけでも「大和説」は既に壊減してしまっている。

 また邪馬壹国への行程の細部をみても

 「水行10日、陸行1月」は、

 始めの郡からの行程説明

 「到~狗邪韓国~渡一海千余里」のような到着点の国名がなく、

 「水行10日〈または( or ) 〉陸行1 月」といった

 OR に当たる言葉「亦、或」もないから、

 「水行10 日+(プラス)陸行1 月」で○○に着く」という文章である。

 船で20日の距離は九州南部の西岸で、

 投馬=殺馬=薩摩= 川内・宮之城(面土国)あたりだと判っているのだから、

 10日はその半分、真南に走る幹線道路の起点「八代」がぴったりの所にある。

 ここには河童が上陸したという伝承があり、碑も建てられている。

 オリエントのカッパドキア人も連想させられて、

 そこが古来の重要ポイントだったことを証言している。

 距離、方向、重要コースの起点という地理条件から伝承までを兼備した、

 このコースに勝る考証は、他には全く考えられない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月30日木曜日

大和説を生んだ『連続読み』の欠陥

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:3頁

 「邪馬臺国は九州か大和か」という

 「所在」 を明記した「決め手記事」が、

 『 魏書倭人(ウワイト)章』の中に40以上もあり、

 そのことごとくが南九州を示しており、

 またそれを傍証する記事が

 『記・紀』にもあることはご納得戴いたと思うが、

 まだ全部を検証し尽くしたわけではなく、

 最も重要なものが残っており、

 『三国史記』にも補強する記事があるので、

 それらを省略したままでは後でお叱りを受ける。

 先ず『 倭人(ウワイト)章』の、

 その補足からお話しして行こう。

 「連続読み」完全消滅

 原文は「南 至 奴国 百里」と書いてある。

 「南へ行けば奴国に着く。そこまで百里ある」だが、

 これは単に「南に奴国が在る」ではなくて、

 「伊都国から何処も経由せずに直行できる」という意味である。

 途中他の国を経由するのなら前の韓国の様に


 「○国を歴(へ)て」と書く。

 なのに「大和説」は

 「伊都から奴へ行き不弥へ行き投馬へ行き、

  更に東に行くと邪馬壹国に着く」

 と読むという。

 それなら

 「歴奴、歴不弥、歴投馬、到邪馬壹国」

 と書いてなければならないのに、それがない。

 だがこれを抜きにしても「大和説」式の連続読みでは、

 既に解決済みの「投馬=薩摩」から、

 南へ十日も船で行って上陸した後、更にーカ月陸行して、

 やっと都市に着くような大きな陸地は奄美にも沖縄にもない。

 「連続読み」は全滅で、

 それが唯一の拠り所だった「大和説」の復活は、

 もう絶対にない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html