2014年4月10日木曜日

韓と月支国(3)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:574頁

 第十章 天毒とセリカ

 韓と月支国(3)

 少昊はまた少皞(しょうこう)とも表記されるが、

 これは太皞氏である包儀(伏儀)氏の法を修めたので少昊氏という。

 彼の母は嫘祖といい、

 第九章で述べたように四川省の古代の国

 蜀の西方西陵氏の女で、

 「嫘祖開蚕」で知られる養蚕(山繭)を始めたとされる伝説の神母で、

 西王母の祖型である。

 しかも嫘祖は成都の西北の地名阿埧に遺されているように

 阿泥族(和人・倭族)の母系系譜の祖と考えられ、

 黄帝(軒轅)を父系系譜を旨とする夷族(彝族)との合成である

 和夷の子孫が少昊氏である。

 彼はまた青陽氏と称されたが、

 この青陽が夏禹が定めたとされる九州の一州「青州」の

 祖語とみられる。

 青州は山東省の中部、東部地方をいったものであるが、

 少昊氏はその州内の曲阜に都を置いたといわれる。

 彼の陵(少昊陵)は曲阜の東北の東北雲陽にあるという。

 またその居住した邑を窮桑といい、

 そこで帝位に登ったといわれる。

 その名に「桑」が付されていることは

 嫘祖に連なる倭族の特技養蚕技術を

 継承しているものであろう。

 曲阜は漢時代に東夷の一つ

 奄(えん)夷と呼ばれたところである。

 奄(えん) yen は「禹貢」青洲で記述された

 「檿(えん)絲」の檿 yen (山桑)と同訓である。

  三国史記は新羅、加耶は

 その少昊氏の後裔であるというのである。

 つまるところ

 倭族の系譜であることを伝承しているのである。

 後漢書韓伝は

 「馬韓人は、耕作や養蚕」の知識があり」と

 記述するところであり、

 倭族が自分たちの里郷を稲作(耕作)と養蚕により形成し、

 韓へと成長していったものと考えられる。

 『参考』

 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 ( アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

2014年4月9日水曜日

韓と月支国(2)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:573頁

 第十章 天毒とセリカ

 韓と月支国(2)

  朝鮮の李朝期に編纂された

 「三国史記」列伝第一「金庾信」に

 「羅人は、自分たちを少昊金天氏の後裔であるといい、

  金氏を姓としている。

  庾信碑によれば、軒轅の後裔の少昊の子孫であるともいう。

  そこで南伽耶の始祖首露は、新羅と同姓である」と述べる。

 金庾信はこの列伝で王都(慶州)の人であるという。

 「庾信碑」の所在は不明である。

  少昊とは中国の「五帝」のうち、

  黄帝(軒轅)の二人の子の一人で玄囂(げんごう)のことである。

  史記「五帝本紀」は「嫘祖は黄帝の王妃為り、二子を生む。

  其の後、皆天下を有(たも)つ。

  其の一を玄囂と曰ふ、

  是を青陽と為す。
  
  青陽は降りては江水に居る」とある。

 《Key Word》
 「金庾信」
 金庾信

 史記「五帝本紀」

 《参考》

 『五帝本紀』

 黄帝は少典の子で、姓は公孫、名は軒轅。

 当時は神農氏の時代であったが、諸侯は互いに争っており、

 神農氏はこれを征伐できなかった。

 しかし、軒轅がこれを征伐し諸侯は軒轅に従った。

 さらに、炎帝の子孫と争い、

 これに勝利し諸侯は軒轅を天子とした。

 これが黄帝である。

 皇帝は天下に従わないものを征伐し、平定すると立ち去った。

 そうして中国を治めた。

 帝センギョクは、高陽といい、黄帝の孫である。

 黄帝には25の子がおり、

 次子の昌意の子、高陽が黄帝が崩じると帝になった。

 これが帝センギョクである。

 センギョクは、鬼神を敬事する心を持ち、

 尊卑を明確にして徳をもって治め、

 清潔な誠心で祭祀を行い、諸侯を従えた。

 帝コクは、高辛といい、黄帝の曾孫である。

 黄帝の長子の孫である。

 帝コクは天の義に従い、民の急務を知り、

 仁恵にあふれており、威信があった。

 暦を制定して生活の秩序を立て、鬼神を明らかにして敬事した。

 帝コクが崩じると、子の摯が即位したが、徳が弱く功がなかった。

 摯が崩じると放勲が立った。

 帝堯は、放勲といい、帝コクの子である。

 仁徳は万物に行き渡り、知は神のごとしであった。

 また、質素な日常で九族を親しみ、

 人々の才能に応じて官職を与えて規制した。

 義氏、和氏に命じて天の理に従って日月星を数えさせて、

 四時の運行に則り、種まき、収穫の時を人民に授けた。

 義仲を郁夷に移住させ、日の出の時刻を計って春耕の次第をたてさせた。

 義氏の三子、義叔を南交に移住させ、夏の農耕を定めさせた。

 義叔は、昼の最も長い日を夏至と定めた。

 和氏の二子、和仲を西土に移住させ、秋の収穫のてだてを導いた。

 和仲は、昼と夜の長さの等しい日を秋分と定めた。

 和氏の三子、和叔を北方に移住させた。

 和叔は、昼が最も短い日を冬至を定めた。

 1年を366日に定め、3年に一回閏月をおいて四時を正した。

 帝堯は、即位して70年たって舜を見出し、

 その20年後年老いて引退し、舜に天子の政を行わせ、

 さらに28年後崩じた。

 虞舜は、名を重華という。

 帝センギョクの父、昌意から7世である。

 重華の母は早くに死に、父の瞽叟は後妻を娶り、

 その子象を愛し、常に舜を殺そうとしていた。

 30の時に帝堯に見出された。

 帝堯は、女2人を舜に娶わせてた。

 20年して舜が天子となり、帝堯の跡を継いだ。

 帝堯の臣、禹、皋陶、契、后稷、伯夷、キ竜、垂、益、彭祖らが

 挙用されていたが、分担する職務が無かったので、

 舜は彼らを12牧に命じた。

 禹は、司空に任じられ、治水を行った。

 弃は后稷に任じられ、農事を司った。

 契は司徒に任じられ、5常の教えを広めた。

 皋陶は蛮夷が侵入し逆臣がいるため、士に任じられ、刑罰を司った。

 垂は百工を司る共工に任じられた。

 益は山林川沢を司る虞に任じられた。

 そして、朱虎、熊羆を副官にした。

 伯夷は秩宗に任じられた。

 キは典楽に任じられた。

 竜は納言に任じられた。

 みなそれぞれの官職で功業を成就した。

 彼らの中では禹が最も功績を上げた。

 虞舜は、帝位に即いて39年で崩じた。

 虞舜は、子の商均が不肖の子であったので、

 禹に天意を授けたが、禹は辞退し、商均に譲った。

 しかし、諸侯は禹に帰したので、禹は天子になった。

 『参考』

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 ARPACHIYAH 1976
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 ( アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



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2014年4月8日火曜日

韓と月支国(1)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:572頁

 第十章 天毒とセリカ

 韓と月支国(1)

  「カラ」名は韓と表記されたように「加羅」であり、

 是は伽耶の別称である。

 韓は「チャン」と発音され、

 中国語の「蚕(チャン)」「絹(チャン)」と

 同音であることは既に紹介したが、

 韓がカトリキヌ「縑(チェン)」である絹布(帛)を

 表わす用語であることから、

 両語の本来の語義が「絹」な係わるものとして一致する。

 三国志弁辰伝には

 「蚕を飼う桑を植えることを知っていて、

  縑布を作り」とあり、

 縑布が韓で作られていたことが解かる。

 《参考》
 
 三国志弁辰伝

 〔第一弁辰伝〕
 
 弁辰伝もまた十二国である。

 〔その他にも〕また多くの小さな別邑(小国)があり、
 
 そこにはそれぞれ渠帥(首長)がいる。

 その勢力の大きな者を臣智と名づけ、

 その次には険側があり、

 その次には樊濊があり、

 その次には殺奚があり、

 その次には邑借がある。

 巳柢国・不欺国・弁辰の弥離弥凍国・弁辰の接塗国・

 勤耆国・難弥離弥凍国・弁辰の古資弥凍国・

 弁辰の古淳是国・冉奚国・弁辰の半路国・

 弁〔辰の〕楽奴国・軍弥国・弁軍弥国(重複であろう)・

 弁辰の弥烏邪馬国・如湛国・弁辰の甘路国・戸路国・

 州鮮国・馬延国・弁辰の狗邪国・弁辰の走漕馬国・

 弁辰の安邪国・馬延国(重複であろう)・

 弁辰の瀆慮国・欺慮国・優中国があり、

 弁辰と辰韓とを合わせて二十四国である。

 大国は四、五千家、

 小国は六、七百家で、

 総計して四、五万戸である。

 〔辰韓の〕十二国は辰王に臣属している。

 臣王は常に馬韓人を用いている。

 〔辰王は〕代々相継いでいるが、

 辰王は自分みずから〔の意志で〕王になることはできない。

 『魏略』では、つぎのように言っている。

 明らかに〔辰韓人は〕他の所から移り住んだ人たちである。

 それ故に馬韓のために〔辰韓が〕制御されているのである。

 〔弁辰の〕土地は肥沃で、

 五穀や稲を植え〔育てる〕のに適している。

 蚕を飼い桑を植えることを知っていて、

 縑布を作り、牛馬に乗る。

 嫁を娶る時の作法には、男女で区別があり、

 〔それぞれ異なる礼儀に従っている〕。

 大鳥の羽根を用いて死者を送るが、

 それは死者を〔天上に〕飛揚させたいからである。

 『魏略』は、次のように伝えている。

 〔弁辰の〕国々では、

 屋根を作るのに横に木を積み重ねて作っていて、

 あたかも牢獄のようである。

 〔弁辰の〕国々から鉄を産出する。

 韓〔族〕・濊〔族〕・倭・〔族〕が、みな鉄を取っている。

 どの市場の売買でもみな鉄を用いていて、

 〔それは〕中国で銭を用いているのと同じである。

 そしてまた〔鉄を楽浪・帯方〕二郡にも供給している。

 〔弁辰の〕習俗は、歌舞し飲食することを喜ぶ。

 瑟(大琴)があって、その形は筑に似ている。

 この瑟を弾く、また音曲がある。

 子供が生まれると、石でもって子供の頭を圧す。

 〔それは〕頭を狭くしたいがためである。

 そのため今の辰韓人はみな狭い頭をしている。

 男女〔の習俗は〕ともに倭に近く、

 また〔男女ともに〕文身(入墨)している。

 〔戦闘では〕、歩戦が巧みで、

 〔用いている〕武器は馬韓と同じである。

 人々の礼儀では、往来を行く者が出会った場合、

 すすんで相手に路を譲る。

 〔第二弁辰伝〕

  弁辰は、辰韓と入り雑って生活している。

 また〔弁辰には〕城郭があり、

 衣服や住居などは辰韓と同じである。

 言語や法俗なども似ている。

 鬼神を祭る仕方には、異なっているところがある。

 竈をそなえているが、〔それは〕みな戸の西側につくっている。

 〔弁辰の〕瀆慮国は倭と〔境界を〕接している。

 十二国にはそれぞれ王がいる。

 〔弁辰の〕人々の体格は大きく、衣服は清潔で、

 髪は長く伸ばしている。

 そしてまた広幅の細布を織っている。

 〔弁辰の〕規律は特に厳格である。

 * これらはすべて、

 井上秀雄ほか訳注1974『東アジア民族史1-正史東夷伝』

 平凡社より引用したものです。脚注は省略しています。

 詳細は原書をご参照ください。


『参考』

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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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セリカの愛人(3)

 
 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:571頁

 第十章 天毒とセリカ

 セリカの愛人(3)

  山海経「海内経」に載る「愛人」とは、

 これらの地名に残る aha を祖語とする人々の名称である。

 絹を求めてやって来たインド商人たちを指すものと考える。

 「愛」は頴娃(えい)と同じく aha の転訛である。

  「東海の内北海の隅に国あり、名は朝鮮・天毒、

   この国の人は水に住む、偎人、愛人あり」は

 「東海の内、北方の海域に国があつ。
  
  名前は朝鮮と天毒(インド)という。

  この国の人々は島々に住む。

  倭人とインド人が住んでいる」との

 解釈が導き出される。

 愛人であるインド交易商人はセリカの絹商品を
 
 輸出する担い手であったのである。

 《参考》
 
 山海経「海内経」

 「東海之内 北海之隅 有国 名曰 朝鮮天毒 

 其人 水居 偎人 愛人」。

  「中国から見て東海、その北部の片隅に朝鮮天毒という国がある。

  海に囲まれた島国に住むその国民は、

  偎(ゥワイ)人、または愛(アイ)人と呼ばれている」

 山海経(せんがいきょう)
 
 山海経(せんがいきょう)とは戦国時代から秦・漢期にかけて

 徐々に付加執筆されて成立した中国最古の地理書である。

 禹の治水を助けた伯益の著に仮託される。 こ

 の書はあくまで古代中国人の伝説的地理認識を示すものであり、

 「奇書」扱いされている。

 劉歆が漢室にたてまつった際には18編、『漢書』「芸文志」では13編。

 『隋書』「経籍志」や『新唐書』「芸文志」では23巻、

 『旧唐書』「経籍志」では18巻。

 『日本国見在書目録』では21巻としている。

 現行本には、西晋の郭璞の伝(注釈)を付しており、5部18巻。

 各地の動植物、鉱物などの産物を記すが、

 その中には空想的なものや妖怪、

 神々の記述も多く含まれ、そこに古い時代の中国各地の神話が

 伝えられていると考えられている。

 そのため、

 後世失われたものの多い中国神話の重要な基礎資料となっている。

 3世紀に完成。

 河南省の洛陽近郊を中心として叙述されている。

 山経5書は、時代を追って成立した本書の中でも最古の成立であり、

 儒教的な傾向を持たない中国古代の原始山岳信仰を知る上で

 貴重な地理的資料となっている。洛陽を中心としている所から、

 東周時期の成立と推定される。

 もともとは絵地図に解説文の組み合わせだったが、

 絵地図は失われ、後世に解説文を頼りに想像で挿絵をつけた。

 と書かれている。

 〔清〕都美行著

 山海経箋琉
 
 18 海内經第十八

 東海之内・北海之隅・有國名曰朝鮮・天毒・其人水居・偶人愛人。

 西海之内・流沙之中・有國名曰壑市。

 西海之内・流沙之西・有園名曰沮葉。

 流沙之西・有烏山者・三水出馬。

 爰有黄金・璿瑰、丹貨、銀臓,皆流于此中。又有准山・好水出鴛。

 『参考』

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 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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2014年4月7日月曜日

セリカの愛人(2)

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:570頁

 第十章 天毒とセリカ

 セリカの愛人(2)

  鹿児島県指宿郡頴娃(えい)町に石垣地区がある。

 この石垣も祖語は石垣島と同じく śaīlika である。

 町名頴娃は江居とも書かれ、

 続日本紀文武天皇四年(400年)六月に

 「衣評督衣県(えのこおりえのあがた)」、

 和名類聚抄に頴娃郡頴娃郡とある。


 「エイ」は八重山列島の八重、大と同じく aha を祖語とする。

 町内の地名「御領」「郡」は

 サンスクリット語の「輝き」を意味する gauri の音写で、

 太陽 aha の光輝を謂ったものである。

 頴娃地区にある大野岳は aha と

 同義の ahan に依るものとみられる。

  鹿児島県加治木町は現在姶良郡に属す。
 
 かって大隅国姶欏郡として和銅四年(713年)に始まった郡名である。

 延喜式には姶羅郡、和名類聚抄には姶﨟または姶羅とし、

 阿比良と訓まれている。

 また大隅郡には和名類聚抄に載る姶﨟郷がある。

 「アヒラ」もまた ahar 依拠した地名である。

 《Key Word》

 大野岳
 大野岳

 『参考』

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2014年4月6日日曜日

セリカの愛人(1)

 
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 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:569頁

 第十章 天毒とセリカ

 セリカの愛人(1)

  セリカの遺称と指摘した石垣島には、

 大浦、大野、大田、大里、大本、大浜、大同、大川、大嵩と

 「大(おお)」のつく地名が多くある。

 これらはサンスクリット語の aha,ahar(ahan) に由来する。

 北部大田近くの山木ウラ岳名も同じとみられる。

 石垣島の最高峰於茂登の「オモト」は

 「眠、太陽」を意味する。

 aha は「昼、日(太陽)」を意味し、

 「大」は太陽を語義とする転訛である。

 於茂登はまた「表(おもて)」と表記され

 西表(いりおもて)島名となっているが、

 これらの島々を八重山(やえやま)列島という。

 「八重山」は土地の古老たちが

 「エイマ」と呼ぶ列島の漢字名である。

 「エイマ」はサンスクリット語の ahima の移入とみられ、

 本義は「冷たくない、寒くない」で「温かい、暖かい」となり、

 「太陽」を表わす。

 このように八重山列島は太陽島である。

 《Key Word》

 石垣島
 石垣島

 於茂登岳
 石垣島のカンムリワシ

 西表島
 西表島

 八重山列島
 八重山列島

 『参考』

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2014年4月5日土曜日

セリカ名の由来と遺称(6)

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:568頁

 第十章 天毒とセリカ

 セリカ名の由来と遺称(6)

  葛例郷の比定地については、

 隼人町内の北方に嘉例川地区と川、

 福山町に佳例川地区と川名があり、

 ごこか確定はできないが、

 佳例川のある福山から国分市、隼人町、加治木町

 つまり桑原郡一帯と「カラ・葛例」と

 称していたとすることができる。

 葛例郷名は和名類聚抄に薩摩国阿多郡にも見え、

 錦江湾の奥に限られた地名ではない。

 つまり葛例はまた「カツレ」と読め、

 これは「カトリキヌ」に相当する。

 カトリは和名類聚抄では「縑」と表記し、

 細かく固く織った絹布、

 カトリキヌは縑を使った衣服をいう。
 
 カトリは漢語の綷で帛(絹布)である繒、また総に通じる。

 「ソウ」は郡名曽於(囎唹)郡の祖語と考えられる。

 川辺町のある川辺郡には笠沙町があるが、
 
 この笠沙は「笠紗」で「カサ」はまた「カトリ」の別称で、

 さらにキヌカサとも呼ばれた。

 つまり「カササ」はカトリキヌと同義である。

 そして「カトリ」は後世「錦」と呼ばれるもので

 錦江湾の由来は鹿児島県の地が

 絹生産の地であったことを物語っている。

 「カツレ」(葛例)名は、京都市の西側を流れる川、

 桂川の「カツラ」の祖語でもある。

 「桂」の地は秦氏の絹産業の中心である太秦の南側に当たる。

 古代ここでカトリキヌが織られたのである。

 その伝統が現在に伝えられ、西陣織となっている。

 西陣織は錦織にその特徴がある。

 桂はカツレ/カトリの転訛である。

 《Key Word》
 嘉例川
 佳例川
 笠沙町
 桂川
 太秦
 西陣織
 西陣織

 『参考』

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