『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:25頁
では応神以前はどうなっているか?。
第1は
国生みの後に生まれた神は、まず大事忍男神である。
建内式・方言差命名法の原則を当てはめると、<忍>は<大隅>だから、
<大>はやはり大隅の<大>である。
8世紀の常識では大=<オオ>は<倭>でもあるから、
倭王こと大隅の男王と言うことになる。
第2は
石土毘古神。
<ツチ>=津王(キ)だから<伊勢津王>=<イサチ>で<イサナキ>、
先に垂仁天皇たちから仁徳天皇皇后の石之声売命まで
例にひいてお話しした名乗りである。
これは愛媛県の霊峰である石鎚山にその名をとどめているが、
垂仁天皇皇子の<石衝別王>も南九州方言では
<イシツッ>、<石土>も<イシツッ>、
同じ名乗りで当て字が違うだけである。
第3は
<石巣比売神>も、<イシズ>は<石津>と同じ発音だから
<石之日売命>と同名である。
エジプト出自だがギリシャ人にも信仰された
<イシス女神>にも無縁ではないことは、
京都の松尾(まつのお)大社にある女神像が、
ギリシャ・アンチノポリス出土品の
イシス像と非常に共通点が多いことをみてもわかる。
これは拙著『黄金の女王 卑弥呼』(ロングセラーズ刊)の頁253に比較写真を
掲載してあるのでご覧いただきたい。
ここで明瞭になったことは、仁徳皇后の
<石之日売>も本来は<イサナキ>とペアの名乗りで、
イサナミを意味する
石之売(イサナミ)(女)=<伊勢の女王>だということである。
<イサナキ>だけが世襲伝世していたのではないことが、これでよくわかった。
第4は
大戸日(ウヘヒ)別神。
<ウヘヒ>は大隅語の<上井>・<倭>だから、多出する「倭比古」である。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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