2010年8月5日木曜日

応神以前の戒名=神名が解いた意外な仁徳皇后の名

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:25頁

では応神以前はどうなっているか?。

第1は

国生みの後に生まれた神は、まず大事忍男神である。

建内式・方言差命名法の原則を当てはめると、<忍>は<大隅>だから、

<大>はやはり大隅の<大>である。

8世紀の常識では大=<オオ>は<倭>でもあるから、

倭王こと大隅の男王と言うことになる。

第2は

石土毘古神。

<ツチ>=津王(キ)だから<伊勢津王>=<イサチ>で<イサナキ>、

先に垂仁天皇たちから仁徳天皇皇后の石之声売命まで

例にひいてお話しした名乗りである。

これは愛媛県の霊峰である石鎚山にその名をとどめているが、

垂仁天皇皇子の<石衝別王>も南九州方言では

<イシツッ>、<石土>も<イシツッ>、

同じ名乗りで当て字が違うだけである。

第3は

<石巣比売神>も、<イシズ>は<石津>と同じ発音だから

<石之日売命>と同名である。

エジプト出自だがギリシャ人にも信仰された

<イシス女神>にも無縁ではないことは、

京都の松尾(まつのお)大社にある女神像が、

ギリシャ・アンチノポリス出土品の

イシス像と非常に共通点が多いことをみてもわかる。

これは拙著『黄金の女王 卑弥呼』(ロングセラーズ刊)の頁253に比較写真を

掲載してあるのでご覧いただきたい。

ここで明瞭になったことは、仁徳皇后の

<石之日売>も本来は<イサナキ>とペアの名乗りで、

イサナミを意味する

石之売(イサナミ)(女)=<伊勢の女王>だということである。

<イサナキ>だけが世襲伝世していたのではないことが、これでよくわかった。

第4は

大戸日(ウヘヒ)別神。

<ウヘヒ>は大隅語の<上井>・<倭>だから、多出する「倭比古」である。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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