2010年8月5日木曜日

汚物から化成した神々の実体

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:29頁

次は「多具理=たぐり」から生まれた

金山毘古神と金山毘売神のペア神である。

たぐりというのは嘔吐物のことだが、

鉱山で原石を砕いて泥状にしたものは、

現場をしらない一般人には、

誰でも知っている嘔吐物にたとえるのが、

一番わかりやすいということ。

その泥々したものを掻き回して鉱物を取り出す様子からいっても、

金山という名からいっても、

これは鉱工業を管理する王と女王ということになる。

明瞭に職制上の名乗りである。

次は屎=くそ・糞から生まれた

波邇夜須(ハニヤス)毘古神と波邇夜須毘売神。

ほとんど同じ名乗りの建波邇安毘古命

(先出・孝元天皇の皇子=崇神天鼻に反乱して戦死した王)がいる。

波邇夜須毘売はその生母だから、

彼は母の名乗りを継いだ王で、

ハニは土だから土木事業の統括者、

今の国土交通相また土器生産の原料だから

用土の管轄も兼ねた王といった職制の名乗りだ。

その土と糞は外観が似ているだけでなく、

彼は崇神天皇を敵に回した反逆者だというので、

わざわざ糞に喩(たと)えてあるとみると、

この系譜作者の倫理観や立場もわかる。

次は尿=ゆまり・いばり・小便から生まれた弥都波(ミヅハ)能売神なので、

すでに講義録28頁15~24で詳しく検討済みであるからご再読戴きたい。

水葉=蝮草で、反正天皇と同じ名乗り、

福岡県の三潴や

大阪府の水間観音に歴史的にも合うから実在したことは間違いない。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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『魏書』の官名が実在を証明する鳥之石楠船神

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:28頁

最初に見た風の神と大山津見一族の8神のあとに、

鳥之石楠船神・別名・天鳥船がくる。

これも職制を示す名。

飛ぶ鳥のように速い船足の、楠の木で造った石のように頑丈な帆船を、

荒波を越えて運航する海の王という名乗りだ。

具体的には位宮を高句麗から沖縄まで運んだ

種子島~鴨緑江海軍の指導者・旦波・比古多多須・美知能宇斯王

(講義録25頁5~8参照)などを指している。

彼なら垂仁天皇后妃の比婆須比売と沼羽田之入毘売と歌凝比売との父で、

この后妃は実在者であることを

『魏書倭人章』の官名が、

それぞれ弥馬升、奴佳鞮、弥馬獲支として記録しているから、

その父も実在者で、決して神話中の架空の存在ではない。

次の大宜都比売神は先に説明した大月比売=御食津比売神で、

農業国家の指導者の長という名だが、もう少し補足すれば、

推古天皇の豊御食炊屋比売命も同じ名乗りで

「豊かな食糧を国民に食べさせる女王」

という形容名詞であり、架空の神名ではない。

その次が母イサナキに大火傷(やけど)を負わせて死なせた、

火之夜芸(ヤキ)速男神、別名・火之炫(かが)毘古神、

またの名・火之迦具土神(記)、

火神・軻遭遇突智(カグツチ)(紀)である。

このカグツチもNo.26の頁4~6で見たように、

鹿児島は鹿児之国(シマ)で、

大隅語読みの鹿児之王は鹿児津王になる。

これは壹與に始まる赫居世(カグシ)などと同じ名乗りだから、

彼女以後の世襲名である。

『参考』

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神名帳は系譜だと教える倭国の官名と垂仁天皇

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:27頁

第10は

妹速秋津比売神。

説明はいらないと思うが、その倭国の女王または后である。

この夫妻の皇子が

第11の

沫那芸(アワナギ)神で、沫那美神とペアになっている。

イサナキ・イサナミと同形だが、<伊勢の王>と女王に対して、

こちらは淡(奄美大島または種子島)か

安房(屋久島)または阿波(徳島)の王と女王だ。

第13は

頬那芸神で、これも

第14の

頬那美神とペアになっている。

頬(ホホ)は<日日>や<火火>や<穂穂>と書く

彦日日出見尊や日子穂穂手見命の<ホホ>である。

<ホホナギの命>と<ホホナミの命>とのペアは、

イザナギ・<イザナミと全く同じタイブの名乗りである。

第15と第16は

天之水分神と宮之水分神である。

これは水稲農業国の瑞穂の国(くに)政権で、

河川の管理や治水を司どっていた官名の名乗りだ。

第17と第18は

天之久比奢母智(クヒザモチ)神と国之久比奢母智神である。

この2神の次に風の神=志郡都比古神=品都別=八幡がくるから、

これは垂仁天皇夫妻である。

久は<久の国>=狗奴国。<比>=日の国。

奢(サ)=狭(サ)で屋久島と種子島。

母智は<モチ>、大汝=大国(ナ)持の持ちで持主=領主を表わす名乗りである。

これが沖縄訛りでムチになり、貴と書かれることはご存知の通りだ。

垂仁天皇がその地域の支配者として卑弥呼政権を倒し、

倭国の実質的支配者になったことはご熟知のことで、

以上の神名帳が一種の系譜であることは、

この部分で強く再確認できた。

だからこれらを、全て一人のイサナミが生んだとして平気でいた在来の

解釈は、この点でも根本的に無価値だった。

それは残りの神々を見ればさらによくわかる。

先に見た風の神のグループから、

大山津見神のグループに続く最後の8神が、

それを具体的に立証している。

『参考』

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現実的な名乗りばかりだった「神名=戒名」の実態

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:26頁

第5は

天之吹男神。

<フクオ>の次に、助詞の<ノ>と同じ「ガ=賀」を挟むと天の福岡の神になり。

宇佐の神と同格の福岡王を意味する。

第6は

大屋毘古神。

大屋という地名も各地にあるが、<ウヤ>=親神=最高神がここで

生まれたという意味である可能性もある。

第7は

風木津別之忍男神。

風は<フ>、木は<コ>、不呼国の<日子>で大隅の王だ。

第8は

海の神である大綿津見神。

これはワタツミではなく、<綿>は<メン>だが沖縄発音では<ミン>。

津見は<祇>で<キ>、<大ミンキ>とは<大海の王(ウミンキ)>のことだから

現実には海人族の首長のこと。

沖縄語だと<ウミンチ>で、今も海で暮らす人たちを

<ウミンチュ>と呼ぶから、この<ウミンキ>は大隅語なのである。

第9は

水戸(みなと)の神で海運や海産物取り引きを管理する「港の支配者」。

その名が書いてあって速秋津日子神という。

速は隼人で巴利国。

<秋>は<安芸>で<アゲイ>すなわち<上井>=ウワイ=倭。

全国の港は倭国王が管理していたということになる。

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応神以前の戒名=神名が解いた意外な仁徳皇后の名

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:25頁

では応神以前はどうなっているか?。

第1は

国生みの後に生まれた神は、まず大事忍男神である。

建内式・方言差命名法の原則を当てはめると、<忍>は<大隅>だから、

<大>はやはり大隅の<大>である。

8世紀の常識では大=<オオ>は<倭>でもあるから、

倭王こと大隅の男王と言うことになる。

第2は

石土毘古神。

<ツチ>=津王(キ)だから<伊勢津王>=<イサチ>で<イサナキ>、

先に垂仁天皇たちから仁徳天皇皇后の石之声売命まで

例にひいてお話しした名乗りである。

これは愛媛県の霊峰である石鎚山にその名をとどめているが、

垂仁天皇皇子の<石衝別王>も南九州方言では

<イシツッ>、<石土>も<イシツッ>、

同じ名乗りで当て字が違うだけである。

第3は

<石巣比売神>も、<イシズ>は<石津>と同じ発音だから

<石之日売命>と同名である。

エジプト出自だがギリシャ人にも信仰された

<イシス女神>にも無縁ではないことは、

京都の松尾(まつのお)大社にある女神像が、

ギリシャ・アンチノポリス出土品の

イシス像と非常に共通点が多いことをみてもわかる。

これは拙著『黄金の女王 卑弥呼』(ロングセラーズ刊)の頁253に比較写真を

掲載してあるのでご覧いただきたい。

ここで明瞭になったことは、仁徳皇后の

<石之日売>も本来は<イサナキ>とペアの名乗りで、

イサナミを意味する

石之売(イサナミ)(女)=<伊勢の女王>だということである。

<イサナキ>だけが世襲伝世していたのではないことが、これでよくわかった。

第4は

大戸日(ウヘヒ)別神。

<ウヘヒ>は大隅語の<上井>・<倭>だから、多出する「倭比古」である。

『参考』

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