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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:1252~1265頁
第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰
天理市新泉町の大和神社の近くに佐保庄町がある。
この周辺は平安時代からの佐保庄であった。
同名の佐保川が奈良市から大和郡山市を流れ
大和川へ流れ込んでいる。
その川の流れる奈良市の北部、
その川の流れる奈良市の北部、
現在は法蓮町となっている辺りに
佐保田荘という荘園が平安時代初期からあった。
これらの「サホ、サホク」は『古事記』の記す
曾富謄と同格とみられ、
大和国の「裁判官」信仰が
広がっていたと考えられる。
以上の解析により「大和国」は
「海国(うみのくに)」とすることができる。
サンスクリット語の「海」は
toya(水、海、雨)と言う。
『古事記』での神々の誕生の条で国之常立神の
次に成った神に豊雲野神がいる。
この神名の「豊」を toya の音写と考える。
また「雲の(野)」は「大和の」と理解できる。
同神名は『日本書紀』に豊組野尊とあり、
同じ神とみられる。
『同紀』ではこの神名を国常立尊の別称とする。
一書の部分は次のようにある。
これを常立尊と号す。
またの名を国底立尊という。
次に国狭槌尊。
または国狭立尊という。
次に豊国主尊。
または豊組野尊という。
または豊香節野尊という。
または浮経野豊買尊という。
または豊国野尊という。
または豊国野尊という。
または豊齧野尊という。
または葉木国野尊という。
または豊見野尊という。
国常立神(尊)は「国常立尊、ヤハウェ神、エア神」
でみたようにヤハウェ神の性格を強く持っている。
「常立」「底立」は既に分析済みで双方とも
ヘブライ語の
YKhTYT(takhetit 底)に依る名称であった。
ここに述べられている豊国は「海国」にして
「大和(やまと)国」とすることができる。
「豊国主」は「大和国の首長」、
「豊国野」は「大和国の」の字義である。
「国狭槌(さづち)」及び「国狭立(さだち)」は
「北陸と佐渡の秘密」で述べた佐渡の祖語
SVD(sod) の同類 SVDYVT(soduut) の音写である。
「豊組野」の「クミ」は「小山、丘」の
GBI(gevi) の音写で
「豊香節(かぶ)野」「豊齧(かぶ)野」の
「カブ GBVV(gabuu)積み重ね、山積み」に対応する。
「小山、積み重ね」は幸手市神明内の八海神社、
佐渡島真野町の小布勢神社に保たれている。
「浮経野豊買(うかぶのとよかう)」の
「ウカブ」は AKhV(okhav)で「葦」、
「豊買」は「水の葦」と理解できる。
「買:カウ」は GVIVL(geol 葦)で、
「ウカブトヨカウ」は「葦の水の芽」で、
『日本書紀』が
「葦芽(あしかび)のようでこれを国常立という神」
というのに相当し、
その一書に
可美葦芽彦舅(うましあしかぶひこじ)尊
というのに対応する。
「葉木国」は HKhKYM(hekekim 智恵を授ける)の
転訛ともみられるが、「智恵国」でもあろう。
「見野(みの)」は
MIYN(mien) の音写で「泉、水源」を表わす。
その様子は
「木曽の御嶽山と水無神社」に詳しく述べている。
以上のように国常立神を理解するには
ヘブライ語が極めて重要である。
豊国の「トヨ」としてサンスクリット語の
toya(海) を優先させたが、
ヘブライ語の「裁判官」の DYN(dayon)あるいは
「裁判、法律」の DYN(diyn) でも
その殆どの神名は理解できよう。
開闢神話において
『記・紀』共に「水に浮かんでいる」との
状況を述べているので「海国」と解釈したのである。
そしてここに解釈された国常立神の姿が少彦名神と
重複していることを知り得る。
二つの神名が
『記・紀』の建国神話に果たしている役割は
極めて偉大で、
イスラエルの神は日本の古代の創世に
多大な貢献をしたのである。
『日本書紀』は、
倭大国魂神あるいは日本大国魂神と表記している。
「倭」「日本」共に「ヤマト」と訓む。
「倭」は崇神天皇紀に「倭国」の表記があることから
「ヤマト国」と理解できる。
しかし、
倭は
漢魏音(上古音)で uwai
隋唐音(中古音)で uwa
北京音(近世音)で wei であり、
「ヤマト」の言語とは言えない。
漢大陸からもたらされた
倭人名から採られた用語である。
中国の史書『後漢書倭伝』に
倭、倭国の表記があるが、
『三国志魏書東夷伝倭人章』『晋書倭人伝』が
『宋書倭国伝』『南斉書倭国伝』『梁書倭伝』
『隋書俀国伝』と改変されている。
これらの名称はそれぞれ記事の文頭が
その語に依って始まっているからである。
また「日本」、いわゆる日本で生まれた用語である。
中国の『山海経』、『漢書地理志』などの
古書にみられる太陽の出る(住む)所としての
扶桑の考え方が背景にあっての
観念から生まれた術語である。
日本は「二ホン Nihon」ないし「ニッポン Nippon」
と言うが Nippon には特別の理由がある。
この用語を理解するには桜井市の三輪山が神奈備山と
呼ばれることを考慮しなければならない。
同山は「雲の山」であるが、
雲を表す
ギリシャ語の νεψέλη、
ラテン語の nebula、nubes、
ドイツ語の Nebel が「奈備(なび)」の祖語で、
神奈備山が「神の雲山」であることを
理解しておかなければならない。
但し「神」は「カン」で本来ギリシャ語の
ケン(黒い)の音写であり、
「カンナビ」は黒い雲にして雷雲を表わしている。
つまりギリシャ語あるいはラテン語が大和国に
取り入れられたちの証拠である。
この状況から
Nippon をラテン語 neo-pon の転訛と
考えられのである。
neo(ギリシャ語 νεο-)は「新しい」、
pon (または pons ギリシャ語 ποντος)は
「海」を意味し、
neo-pon は「新しい海国」を表わす。
ヘブライ語の YMYT(海の国)に対応する。
ギリシャの周辺に(古い)海国(ποντος)が
あった故の呼称である。
その Pontos は黒海南岸、
現在のトルコのアナトリアからグルジアにかけて
ギリシャのイオニア人によって建国された
植民国である。
豊かな地域でローマの周辺にあって同帝国に
最後まで抵抗し、独立を保っていたが
紀元前63年に併合された。
同年にバビロン捕囚からエルサレムに帰還していた
ユダヤ人が建てた第2神殿が
ローマによって破壊された。
イオニアは現在のトルコのエーゲ海 zmir が
本拠地で紀元前15世紀のヒッタイト帝国の頃は
Musa といわれた地域で、イオニア人の入植後は
イオニア、スミルナとなり、ペルシャ帝国の侵攻後は
ミレトスといわれた。
イオニアとは Ιωνια が興りで
「スミレの咲いている所」の意味である。
日本で「菫」を「すみれ」という。
この用語はスミルナ
Smyrna が日本へ入って来た呼称である。
ギリシャ語、ラテン語がどのようにして
渡来したのかここでは述べないが、
「八潮市立資料館藤波の牛角兜」で述べたように
サカ族(スキタイ人)など、
ギリシャに大きく影響された人々が
ギリシャに大きく影響された人々が
渡来したことは事実である。
この「すみれ」もギリシャ語、ラテン語の移入を
証すために敢えて説明した。
ともかく
Nippon の原語をneo-pon(新しい海国)と考える。
現在のイタリアの都市
ナポリ Napoli はNeo-polis(新しい都市)から
興った名称でよく似ている。
極東の遠方の地とはいえ、
ローマ時代(紀元後)絹を求めて航海して来た
商人たちが海の中にある島国を「新しい海国」と
呼んでも不思議はない。
「海国ヤマト」は
「新しい海国日本」となったのである。
さらにそのイオニア文明を背景にした人々が
ヤマト国の中枢に進出した可能性がある。
強力な勢力で渡来したのである。
沖縄の「オキナワ」はギリシャ語の
ωκυ-ναν (速い船)の音写で軍船を意味する。
その頃の軍船とは櫂を揃えた奴隷船で
二段櫂船、三段櫂船などがあった。
映画「ベンハー」の海戦情景を思い出せば
理解によい。
これに対し遅い船とは円井船、商船である。
琉球諸島の「リュウキュウ」は
ギリシャの「白い繭」からの「白い leuke 」が
祖語であることを述べておいた。
そのようなイオニア系の人々の侵入から
ヤマト国をイオニアの国とする見方が生まれ、
Japan(英名)が出来したと考える。
ヘブライ人はギリシャのことを「イオニア」と呼ぶ。
YVN(yavan)がその名称で
イエス・キリストの使徒
ヨハネ Johan(英語)はこの呼称に依る
「イオニア人」であった。
サンスクリット語ではギリシャを
yona と言い、ギリシャ人を yavana と言う。
これもイオニア Ιωνια が祖語である。
現在のヘブライ語では
日本を YPhN(Yaphan) と言う。
ジャパン(Japan、Yaphan)はΙωνια から
生まれた呼称であるかもしれない。
日本の古代は世界の動きから孤立していた訳でなく、
外の地域の人々との交流・混成に依って
成立して来たものである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ