2015年12月3日木曜日

韓国伊太氐神社と杵築神社①


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1010~1017頁

 《韓国伊太氐神社と杵築神社》

  韓国伊太氐神社は「延喜式」神名帳

 出雲国意宇郡に三社、出雲郡に三社の

 計六社記載されているが、

 いづれも他の神社と「同」とされており、

 独立した神社になっていない。

 出雲国風土記には一切みえない神社名である。

  〇意宇郡

   (1)玉作湯神社 同社坐韓国伊太氐神社

           (玉湯町玉造温泉)

   (2)揖夜神社  同社坐韓国伊太氐神社

           (東出雲町揖屋)

   (3)佐久多神社 同社坐韓国伊太氐神社

           (宍道町佐倉)

  〇出雲郡

   (1)阿須伎神社 同社坐韓国伊太氐神社

           (大社町遙堪)

   (2)出雲神社  同社坐韓国伊太氐神社

 
   (3)曾枳能夜神社 同社坐韓国伊太氐「奉」神社

           (斐川町神永氷室)

  伊太氐は「イタテ」と読まれ、

 播磨国風土記餝磨郡因達里にある

 「伊太代」の神に対応する。

 「イタテ」はヘブライ語の IDVT(edut)

 あるいは IDYVT(edeut) の音写で、

 「証し、証拠」で「誓い、あかし」と同義である。

  民数記第9章15に

 「あかしの幕屋」AHL-HIDVH を用いられている。

 明石市の市名はこれに根拠したものである。

 「韓国」は播磨国を指すいわゆる秦王国、

 あるいは「新羅訓(国)」と

 言われた地域をいったものである。

 韓国名については、南九州に同名の山があり、

 『古事記』にも登場するが、

 その「カラ」は
 
 絹織物、縑(かとりきぬ、絹糸を固く織ったもの)を

 称したものであることを第10章天毒とセリカで述べた。

 京都市の「桂」は西陣織と関係する縑が祖語で、

 秦氏の絹織物技術が伝統として生きている。

  さて、出雲の韓国伊太氐神社は

 安来市の西東出雲町から出雲市、大社町まで広がっている。

 つまり、イスラエルの民の信仰が波及したのである。

 出雲国風土記神門郡に「古志郷」があり、

 「伊弉奈弥命の時、日淵川を以ちて池を築造りき、

  その時、古志の国人等、到来たりて堤を爲りき。

  即ち、宿り居し所なり。
  
  故、古志といふ」とあるが、

 池を築造ったり、堤防を築くのはヤハウェ神、

 すなわち秦氏の得意とする技術である。

 その古志郷は現在出雲町に古志町として遺っているが、

 その西方に知井宮町の元である智伊神社の

 「チイ」はヘブライ語の「川」を意味する

 TYYKh(tayh)の音写である。

 そしてこの「コシ」は
 
 兵庫県飾磨郡夢前町の故知之庄で挙げた

 「箱」を意味する KISTL(kestl)である。

 この用語が現在多くの神社の祭礼で
 
 舁かれる御輿の「コシ」の原語である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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