2015年4月9日木曜日

諏訪大社の「御頭」①

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:875・876頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 諏訪大社の「御頭」①

  第12章では「三輪氏」をなぜ「神氏」と表記するのか

 触れなかったが、その理由が本章で明らかになる。

 また大国主命の別称にある八千矛神あるいは葦原志許男神に

 ついての解釈をここで行う。

 さらにメソポタミアを起源とする祭官「祝」と祝祭に欠かせない
 
 牡牛が鹿になっている。

 その経緯を推察し、諏訪神の性格と出雲との関係を明らかにする。

  諏訪大社上社の祭事のうち、最も重要な行事は

 例年4月15日に行われる御頭祭である。

 同祭は上社前宮の吹き通しの建物十間廊で開催されるが、

 その最大の特徴は鹿頭が神饌と共に供えられることである。

 江戸時代の紀行家菅江真澄の「すわのうみ」には、

 75の鹿頭がそこには供犠されていたと書かれている。

 それらを俎上に載せて供えるのが古式であったという。

 同社の祖神である漏矢神社第12でも触れたが「鹿」を表わす。

 サンスクリット語の mṛja がその祖語で、

 「森を歩き回る」を意味し、その同類語 mṛga は「森の獣」で

 特に「鹿」を表わす。

 長野県」の諏訪郡に接する伊那郡名は ena(enea) の音写で

 同じく「鹿」の意味である。

 日本武尊の東征の際、神奈川県の足柄辺りや信濃で白鹿を

 退治したとの物語が語られているが、

 これらは東国の古代にあった鹿に対する信仰者の集団の象徴で、

 洩矢神の影響があった人々と考えることができる。

  御頭祭には「諏訪大明神画詞」が

 「禽獣ノ高モリ魚類ノ調味、美ヲ尽ス」と述べて「おり、

 鹿頭のほか、江戸時代の史料によれば、

 猪頭のほか、鶴・雁の頭、鯉などの水産物が供えられたが、

 特に鹿肉も大量に供犠された。

 同社には「鹿食免」御幣や「鹿食箸」があり鹿との係わりが深い。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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