2015年4月5日日曜日

男王卑弥弓呼と孝霊天皇④

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:872・873・874頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 男王卑弥弓呼と孝霊天皇④

  倭人伝には

 「倭の女王卑弥呼は

  もとから狗奴国の男王卑弥弓呼と不和であったので、

  倭の戴斯烏越らを遣わして〔帯方〕郡に行かせ、

  戦っている様子を報告した」とあり、

 卑弥呼と戦争状態のあったことを示す。

 『古事記』の孝霊天皇の条には

 「大吉備津日子命と若建吉備津日子命とは、

  二柱相副ひて針間の氷河の前に忌瓮を居えて、

  針間を道の口と爲て吉備を言向け和したまひき」

 とあるように配下を西方へ派遣し

 勢力を拡大している様子がみられ、

 これは卑弥呼との戦争を内容とする記録と考えられる。

 第12章「大国主神の奉祭氏族(1)磯城氏」でみた様に

 前者は「吉備上つ道臣の祖」で、

 後者は「吉備下つ道臣、笠臣の祖」となった。

 このほか日子寝間命が「針間の牛鹿臣の祖」、

 日子刺肩別命が

 「高志の利波臣、豊国の国前臣、五百原君、角鹿の海直の祖」とあり、

 豊国の国前臣と九州へもその勢力が及んだ様子を窺わせており、

 九州を勢力圏とする卑弥呼の邪馬臺国と対峙する状況が

 見え隠れする。
 
 大吉備津日子命の別称を

 比古伊勢理毘古命(『日本書紀』五十狭芹彦命)という。

 「伊佐」は isa で「支配者」、

 「勢理」は saila で、

 須勢理毘売命と同じく「繭」をいう。

 伊佐勢理 isa-saila は「繭の支配者」となる。

 第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰

      「絹と地名分布」で

 吉備を kṛni の指摘するが、事実吉備国が

 絹糸の産地であると共に鉄の生産地でもあり、

 「長船」のような刀鍛冶の地でもあった。

 大吉備津日子命の二つの名称はそれを表わしている。

 kvath, kṛni はその訓音が近似しており、

 双方が融合して「キビ」 となったと考えられる。

  孝霊天皇の御陵は「片岡の馬坂の上」とあり、

 現在の北葛城郡王子町本町にある。

 同天皇の活動の本拠が

 大和盆地の北西地域でにあったことを示す。

 卑弥弓呼、孝霊天皇の時代は倭人伝の記すとおり、

 5世紀中葉(正始8年、247年)であり、

 まだ大古墳が造られ以前である。

 第9代開化天皇の御陵まで各天皇の御陵に記されている墳丘は

 いずれも前方後円墳ではない。

 箸塚を卑弥呼の大塚とするのは不自然なことである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
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