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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
執筆時期:1999~2000年
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:369~371頁
第6章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰
荒樔田と開木代
山城国の地名はこれまで山代、山背、国背など
多様な表記がされている。
万葉集巻11の旋頭歌に「開木代」との記があることは
すでに紹介したが、
それより古くは『日本書紀』雄略天皇より2代後の
顕宗天皇紀に「歌荒樔田」とあり、
注記に「山背国葛野郡」と記されているのが初出であろう。
「歌」は葛野郡のうち右京区宇多野にその名称があるので
大酒神社・広隆寺のある太秦の北側に当たる地域であろう。
「荒樔田」をどこに比定するかであるが、
宇多野の東側北区内に南北朝時代から最近まで
「荒草」の地名があったことを考慮すると、
これは「荒木巣田:アラクサダ」である。
このような扱い方は、
三重県伊勢の古族荒木田氏の名称が
杭田(櫛田)を崩したものである例がある。
松阪市を流れる川名、地方名に櫛田があり、
それに依拠していることが解かる。
「アラクサダ」はさらに省略を含んだ表現で、
その祖語は旧約聖書創世記第10章に載る
セムの子孫アルパクサデ Arpachsad である。
その名称が北メソポタミアのアルパチア遺跡に係わり
牛頭崇拝の聖地であったことは
繰り返し述べてきたところである。
後に「ヒラキド」と読まれ、
大阪府の市名となる「枚方」が現れたのである。
『日本後紀』弘仁6年に載る「国背」は国中と同じく
クルジャの訛りであり、これが「山背」となったのは、
クルジャの表現がヘブライ語の属すセム語で
フルシュ huršu に近似し、
その意味が山を表わしているからである。
同語はシュメル語の同じ「山」を表わす
hur-sang に依る用語であるが、
ヤハウェ神は ilu-śede (神-山頂) と表記されるように
山の神である。
エジプトを脱出しはヤハウェ神がシナイ山の山頂で
十戒(律法)を伝承したことによる。
山背から、山城と山代ができたとみられる。
秦氏が京都市東山祇園の八坂神社の祭祀に
担ったことはよく知られる。
その祭神は須佐之男命で、またの名称を牛頭天王という。
祇園はエデンの園より流れ出て分かれた四つの川の一つが
ギボン川と同名で、角を意味している。
これまで月氏から秦氏になった状況について述べてきたが、
彼等が単にヤハウェ神(ユダヤ教)だけでなく
カナンの信仰(バアル)も合わせもっていた証しを
示すことになった烈王紀下第18章
イスラエルの人々がアッシリアのシャマネセルによって
メソポタミアの東メディアなどへ捕囚された理由を
「モーセの命じたすべての事に耳を傾けず、
また行われなかった」と述べ、
カナアン人の信仰を行っているように思えるである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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