ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年4月4日木曜日
箸墓の名の究極の意味と埴輪
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:11頁
《箸墓の名の究極の意味と埴輪》
「箸墓の名の究極の意味と埴輪」
その築造の経緯も「三国史記」の記事で、
百済・蓋鹵王すなわち仁徳天皇系の倭王・興=安康天皇が
高句麗の間者・道琳の口車に乗せられて造り、
国力を消耗して身を滅ぼした事情が詳細に判っている。
このことはハシの語源の長谷・泊瀬は、
蓋鹵王の所領「百済=ハッセイ⇒ハセ」で、
その大隅訛りが「ハシ」であることを、
さらに重ねて証言しているから
それは前方後円という新型式の代名詞「百済墓」だったのが、一番有力な真意である。
古墳には埴輪が置かれている。
それを造り、古墳を造営した豪族が土師氏である。
これらの名詞群はもとは同じものだと判るが、以上のどれ一つを取っても、
箸墓は3 世紀の卑弥呼の墓ではありえない。
『箸墓の埴輪』
それを暖昧な伝承でなく、
大量に残っていた遺物でさらに証明するのが埴輪である。
箸墓は昭和50年代の始めに実施した陵墓補修で筒型をした埴輪が大量に発見された。
この特殊土器埴輪は吉備で発生後、
かなりの時を経て畿内に伝わったことが確認されでいる。
ところが『日本書紀』垂仁28年と32年に、
皇弟・倭彦命が亡くなったとき殉葬者たちの叫びが煩いため、
土器で人型を作った殉死者の代用品=埴輪が発明されたとあり、
卑弥呼のときにはまだ埴輪はない。
しかも出土したのは人型埴輪でなく後世の特殊土器埴輪なのだ。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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