ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月28日木曜日
伊都からは「放射状読み」以外にない
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:4頁
《伊都からは「放射状読み」以外にない》
「伊都からは「放射状読み」以外にない」
伊都国に次ぐ奴・不弥・投馬・邪馬壹の記事は
伊都を起点として放射状に読むしかなく、
連続して通過するのではないと決定した。
伊都は今の牛津以外にないから、
その東は到底、水行できない陸地ばかり、
それでも東へ行くのだと主張する人は、頭脳を疑われる。
また水行10日の距離は九州を出ず、
その後1 カ月歩いて行けるのは
四国の西半分止まりで到底、奈良へは行けない。
これひとつだけでも「大和説」は既に壊減してしまっている。
また邪馬壹国への行程の細部をみても
「水行10日、陸行1月」は、
始めの郡からの行程説明
「到~狗邪韓国~渡一海千余里」のような到着点の国名がなく、
「水行10日〈または( or ) 〉陸行1 月」と
いったor に当たる言葉「亦、或」もないから、
「水行10 日+(プラス)陸行1月」で○○に着く」という文章である。
船で20日の距離は九州南部の西岸で、
投馬=殺馬=薩摩= 川内・宮之城(面土国)あたりだと判っているのだから、
10日はその半分、真南に走る幹線道路の起点「八代」がぴったりの所にある。
ここには河童が上陸したという伝承があり、碑も建てられている。
オリエントのカッパドキア人も連想させられて、
そこが古来の重要ポイントだったことを証言している。
距離、方向、重要コースの起点という地理条件から伝承までを兼備した、
このコースに勝る考証は、他には全く考えられない。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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