ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月27日水曜日
大和説を生んだ『連続読み』の欠陥
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:3頁
《大和説を生んだ『連続読み』の欠陥》
「大和説を生んだ『連続読み』の欠陥」
「邪馬臺国は九州か大和か」という
「所在」 を明記した「決め手記事」が、
『魏書倭人(ウワイト)章』の中に40以上もあり、
そのことごとくが南九州を示しており、
またそれを傍証する記事が『記・紀』にもあることはご納得戴いたと思うが、
まだ全部を検証し尽くしたわけではなく、
最も重要なものが残っており、
『三国史記』にも補強する記事があるので、
それらを省略したままでは後でお叱りを受ける。
先ず『 倭人(ウワイト)章』の、その補足からお話しして行こう。
「連続読み」完全消滅
原文は「南 至 奴国 百里」と書いてある。
「南へ行けば奴国に着く。そこまで百里ある」だが、
これは単に「南に奴国が在る」ではなくて、
「伊都国から何処も経由せずに直行できる」という意味である。
途中他の国を経由するのなら前の韓国の様に「○国を歴(へ)て」と書く。
なのに「大和説」は
「伊都から奴へ行き不弥へ行き投馬へ行き、更に東に行くと邪馬壹国に着く」
と読むという。
それなら「歴奴、歴不弥、歴投馬、到邪馬壹国」
と書いてなければならないのに、それがない。
だがこれを抜きにしても「大和説」式の連続読みでは、
既に解決済みの「投馬=薩摩」から、
南へ十日も船で行って上陸した後、更にーカ月陸行して、
やっと都市に着くような大きな陸地は奄美にも沖縄にもない。
「連続読み」は全滅で、
それが唯一の拠り所だった「大和説」の復活は、
もう絶対にない。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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