ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月14日木曜日
壹與の遷都先「壹国(サツマ)」=投馬=殺馬=薩摩
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録39:18頁
《壹與の遷都先「壹国(サツマ)」=投馬=殺馬=薩摩》
「壹與の遷都先「壹国(サツマ)」=投馬=殺馬=薩摩」
この薩摩は、当て字を変えると「殺馬」とも書ける。
これは伊都国から水行20日の所にある「投馬」によく似ている。
こちらは『倭人章』の中では一度しか出てこないから、
偏の上部が見にくいと、どちらか判らなくなる文字である。
沢山書かれている壹の字とは違う。
そこで伊都からの距離を計算してみると、
伊都から邪馬壹国までは水行10日、陸行1月。
これは牛津の南から熊本県の八代までの航海と、
八代から球磨川沿いに鹿児島県の隼人まで歩く行程だと、
すでに確定しているから、
水行20日だと鹿児島県の川内市あたりに投馬国があることになる。
すると前にお話しした「委面土国」への疑念が一気に氷解する。
『後漢書』の最古版が引用されている北宋版の『通典』には、
帥升の肩書きが『委面土国王』と書かれている。
内藤湖南がこれを「ヤマト」と読めると主張した有名な国名である。
だが、委はウワイだから、あとの「面土」が小国名である。
漢魏音で
面はミャン、土はヅーだからミャンヅー、
するとその通りの発音をもった町がその薩摩郡にある。
それが宮之城だとお話ししたのである。
帥升の発音はスイサヌウ。
スサノオの名乗りをもつから、後漢代にはここが首都だったのである。
『倭人章』が邪馬壹国と並べて特記した投馬は、
やはり殺馬=薩摩だったのである。
だからこそ壹與は隼人からそこへ遷都したのだ。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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