2012年11月5日月曜日

八幡=野蛮人、その理由



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:29頁

 《八幡=野蛮人、その理由
 「八幡=野蛮人、その理由

 では八幡とは誰か?。

 これはもう多くの方には常識の応神天皇である。

 八幡大菩薩として崇敬されてきたから、仏教徒だったことが判る。

 その御陵には後円部の頂上に、

 仏教のシンボル・石造のスツーパが建っていた。

 その所在地は先にお話した

 河内の藤井寺=仏陀王(フヂイ)寺(今は羽曳野市に入っているが…)、

 天皇が仏教王だったことの証拠が重なっている。

 だが「八幡」は応神天皇個人の名でも、名乗りでもない。

 それはインドのサンスクリット語で、ギリシャ人を意味する。

 東南アジア各地から南支の仏教との間で、

 今も使われている名詞の「ヤバーナ」に対する当て字でる。

 同じ当て字でも

 中国語では「野蛮」と書いて「イエーマン」と発音するが、

 やはり古代ギリシャ人を意味している。

 この野蛮人の実態がどんなものだったか?、

 かなり具体的に観察し、記録したものがある。

 それは卑弥呼と同じ

 正史『魏書』の「東夷・挹婁(ユウロウ)」の章に、

 「夫余も東北千余里、大海に沿って住み、

  南は北沃沮と接しているが、北はどこまでか不明。
 
  土地は山が多く険しい。

  人相、体格は夫余によく似ているが、言語は夫余・高句麗とは異なる。

  林間に住み、常に、穴居している。

  気候は夫余より更に寒さが激しい。

  挹婁在夫餘東北千餘里,濱大海,南與北沃沮接,未知其北所極。其土地多山險。其人形似夫餘,言語不與夫餘、句麗同。有五穀、牛、馬、麻布。人多勇力。無大君長,邑落各有大人。處山林之間,常穴居,大家深九梯,以多爲好。土氣寒,劇於夫餘。其俗好養豬,食其肉,衣其皮。冬以豬膏塗身,厚數分,以禦風寒。夏則裸袒,以尺布隱其前後,以蔽形體。其人不絜,作溷在中央,人圍其表居。其弓長四尺,力如弩,矢用楛,長尺八寸,青石爲鏃,古之肅慎氏之國也。善射,射人皆入(因)。矢施毒,人中皆死。出赤玉,好貂,今所謂挹婁貂是也。自漢已來,臣屬夫餘,夫餘責其租賦重,以黃初中叛之。夫餘數伐之,其人衆雖少,所在山險,鄰國人畏其弓矢,卒不能服也。其國便乘船寇盜,鄰國患之。東夷飲食類皆用俎豆,唯挹婁不,法俗最無綱紀也。

 『挹婁


 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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