2012年8月23日木曜日

インダスから稲敷へ、そして殷への明確な時代わかる



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録31:27頁

 《インダスから稲敷へ、そして殷への明確な時代わかる

 「インダスから稲敷へ、そして殷への明確な時代わかる

 その都市国家時代はB.C.E.2350年ごろの

 ジェムデト・ナスル期まで続いたが、

 サルゴンの率いるアッカド人に敗北してアッカド王朝時代に変わり、

 サルゴンの曾孫・ナラム・シンは神名のシンを名乗って自分を現人神に譬えた。

 しかし圧制に反発してウルクやキシュの市民が反乱を起こしたので、

 ザグロス山脈からグディ人が雪崩れこんで、

 アッカド王朝は崩壊し、グデイ人支配が90年続いたが、

 それを倒したのは、

 ウルクのウトゥヘガルで、メソポタミヤを再びスメル人の手に取り戻した。

 これが新スメル時代で、B.C.E.2112年にはウルナンムが王朝を樹てた。

 それが栄えたB.C.E.2060年以後をウル第3王朝と呼ぶ。

 インダスのほうはB.C.E.3500年のスメル支配以後にインダス流域に植民し始めて、

 アムリ文化を生み、

 インダス文明を発達させて、B.C.E.1400年ごろまで続いたあと、

 衰微してしまったが、

 その時期がピッタリ、殷の登場期に当たる。

 縄文時代後期である。

 茨城県稲敷郡に移住した歴史的瞬間もこの前だったことは明らかである。

 先にお話しした遺物から、当時の信仰が、やはり水神だったことは、

 器の神象が「竜」を意味していることで明らかである。

 そして稲敷は「水郷・霞ヶ浦」の奥、

 ウバイドそっくりの環境に位置している。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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