ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月7日木曜日
『倭人章』にある証拠と大和説の誤因
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録39:21頁
《『倭人章』にある証拠と大和説の誤因》
「『倭人章』にある証拠と大和説の誤因」
これでよくお解りになったと思うが、
『倭人章』が書く「邪馬壹国」は、
卑弥呼の死後、
彼女の死によって壹與新女王が都した新政権の首都名で、
卑弥呼時代も壹與時代も、
国名は不変の「倭人=ウワイト」国だったのである。
その証拠には『倭人章』は壹與時代になっても変化なく、
「倭大夫」と、やはり倭を元のまま使っている。
これは言うまでもなく「倭人国」の略である。
だから仮に「邪馬臺国」が真実だったのなら、
略称は「邪国大夫」とか「邪馬」大夫とか
「臺国大夫」と書かれていなければならない。
ところが大和説者はこのことにさえ気付かずに、
『卑弥呼は百襲姫なのだから神武天皇の子孫である。
神武天皇は3世紀より以前に奈良に遠征して、
大和朝廷を樹立したのだから、
百襲姫がいた土地は、当然、奈良以外にない。
当時はそこはヤマトと呼ばれていたと思われるから、
それを「邪馬壹」と書いている『倭人章』は間違っている。
それは「壹」の字が、「臺」の字とよく似ているので写し損なったためだ。
だから「邪馬壹国」は実在しないから。
「邪馬臺国」が正しいのだ』
と思い込み、
それを頑固に主張したのである。
だが彼等が不動の史実と思い込んだ神武東征は史実ではなく、
似た史料を混ぜ合わせた偽史に過ぎないことが
今では完全に確定している。
大和説はすでに根底から崩壊していて認める余地はない。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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