ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月31日日曜日
伊都から水行10日=千五百余里で八代
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:7頁
《伊都から水行10日=千五百余里で八代》
「伊都から水行10日=千五百余里で八代」
次は「水行陸行」部分の里程を見てみよう。
郡から女王国まで萬二千余里とあるのだから、
それから「郡~伊都間の距離」を引けば、
「伊都~女王国間の距離」が出る。
それが「水行、陸行」と同じ部分の数値距離なのである。
郡から狗邪韓国までが七千里、末盧まで三千里、
伊都まで五百里だから計一萬五百余里、
残り千五百余里が伊都~女王国間の距離なのだ。
これを地図で計ってみると、
ほぼ牛津~八代間の距離である。
もちろんこれは郡使の聞書きでしかないが、
当時は既に精密な天測や三角測量が行われており、
その重要な器具が鏡であり、
地方長官の名乗り「卑狗」も漢魏音の発音「ピク」で、
オリエントの面積単位名からきている。
これは『記・紀』に多出する「彦・日子」の沖縄発音で、
領地を測量して農林牧畜の経済基盤とし、
それに課税する資格を持つ者=貴族を意味する名乗りだった。
それだけの文化背景をもったこの距離・行程記事は、
郡使が聞き書きした概数ではあっても
精度の高いものだったことは間違いない。
さらに補足すると、オリエント由来の面積単位名には、
この他にも耕地の面積=広さを表わす「セ」がある。
これは我が国の「畝(せ)」に当り、
バビロンの麦の量(体積単位)「1 セ」を撤くのに必要な畑の広さで、
我が国でも南九州では現代でも田畑の面積を「1 シュ(升)撤き」と、
太古の農耕文化通りに表現し続けている。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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