ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月12日火曜日
発音が異なる九州と近畿の二つの伊都
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録39:16頁
《発音が異なる九州と近畿の二つの伊都》
「発音が異なる九州と近畿の二つの伊都」
『伊都郡と伊都国』
しかし今は九州に見当たらない「伊都」が近畿にはある。
和歌山県伊都郡である。
それは奈良県の南端に隣接している高野山周辺の地域だから、
奈良はその北にある。
このように大和説だと『倭人章』の記録と全く逆方向になるから、
この理由も説明が要る。
またその南は紀伊山地で「水行」などできない。
南でなく東だとしても、
やはり蛾々たる山岳が100km以上も続いている。
どこから見ても伊都郡は伊都国ではない。
しかし、全く同じ文字を使ったこの二つの地名は、
元は同じものだったことを示している。
だが3世紀の発音が「イツ国」だったのに、
和歌山では「イト郡」に変っていることも見落してはならない。
<イツ>は沖縄発音で、<イト>は本土発音だから、
魏使が伊都(イツ)と当て字した当時は沖縄語が使われていた。
同じ文字が和歌山で使われた時にはイトという別の地名なのに、
なぜか昔のイツへの文字が、そのまま使われたのである。
言語は土着するから九州で沖縄語を話していた人達が和歌山に移った後に、
伊都の文字はイトと読むように変ったのである。
この沖縄と本土の発音の違いは、
九州から近畿へ人々が移動した事実を証言しているから、
奈良でヤマトなら九州ではヤマツでなくてはならない。
邪馬臺が本当でも、
それがヤマツやヤマトとは絶対に読まれない。
だから「女王国は大和(ヤマト)ではない」。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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