ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年2月7日木曜日
紀州は大和朝廷の起首=「キシュ」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録38:11頁
《紀州は大和朝廷の起首=「キシュ」》
「紀州は大和朝廷の起首=「キシュ」」
また<キシュ>は初めて生まれた都市国家の名であることを考えると、
我が国にも記念すべき国名として、
どこかに残っていなければならないはずである。
当然のことだが、それもある。紀州がそれだ。
「紀州は紀伊の国で紀州は略称だ」と反対されそうだが、
筑州とか豊州とか摂州という略称はなく、
あべこべに「紀伊の国」というのは、
『風土記』編纂時代の726年の民部省令、
「郷名は好字二字で表記せよ」に従って、
わざわざ余分な「伊」の字を加えたことが判っている。
紀州は<キシュ>への当て字だった可能牲が限りなく強い。
さらにもう一つ、紀州は大和朝廷の起首でもある。
検討済みの淡路島首都時代の天皇だった
履中天皇・伊邪木(イザナキ)和気が
沼島から真東に海南市に渡ったのが、
倭の五王の近畿遷都の起首で、
そこが紀州の当て字名を今も保存している。
それに続いて
倭王・済=倭済の墨江中王の訓みに合う和泉、墨江の地域があり、
倭王・興=安康天皇に合う河内=興王(キ)=コウキ⇒コウチ⇒カワチ、
倭王・武に合う大和の高市と進んで、初めて大和に入り、奈良に移って遷都が一段落した。
これが大和朝廷成立の真相なのだから、
ここでも紀州は起首の重要地点に位置している。
それは都市国家・キシュの記憶と伝承が、重く受け継がれた結果であり、
それはスメル語の「キシュ」が「起首」を意味していた事実の、
反論不可能な証拠なのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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