ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年2月10日日曜日
初めて理解できた『日本書紀』の目的
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録38:14頁
《初めて理解できた『日本書紀』の目的》
「初めて理解できた『日本書紀』の目的」
その体制整備で最も頭を悩ましたのは言うまでもなく
女帝制と男帝制との対立だ。
確かに持統天皇以後、女帝制は回復したが、
血縁は歴代天皇が天智天皇の皇子女である。
大化の再来は国の根幹を揺るがし兼ねないし、
また地方の支配者・国造をどうするか?という
大問題に直面したからである。
その結果は、皇女はたとえ姉でも、天照大神=斎王として神事を司り、
皇太子が次の天皇になるという、
バラモン方式(斉王=ブラフマン、天皇=クシャトリヤ)=
『日本書紀』式の相続法に移行したことでその経過が判るから、
『日本書紀』はこのシステムを弁護するために作られた
『皇統譜』で、
それ以前の『帝紀』は、
それを持っていた諸家から取上げて焼却処分してしまった。
『古事記』がそれを「序文」に
天武天皇の意向だったと書くのは責任転嫁だから、
『記・紀』とは何かという論義は、
ここまで来ないと本当の結論は出ない。
だが有り難いことに、
それまでは「女性が国造だった」という証拠が、
厳しい官憲の検閲焚書の眼を逃れて残っている。
それは『播磨国風土記』の
「讃容郡」弥加都岐原の長文の中にある
「因幡国造・阿良佐加比賣」である。
国造だから当然『国造本紀』に載っているはずなのに、
そこには
「成務天皇の御世に彦坐王の子・彦多都命を稲葉国造にした」と
あるだけであって、
これもまた検閲焚書の実態をまざまざと記録している。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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『言語復原史学会:画像』
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