2014年6月30日月曜日

稲荷:黄金山信仰(1)稲荷山⑤


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:674頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(3)稲荷山⑤

  稲荷山とは

 インドラ神(佐田彦神)の住居のあるスメル山なのである。

 スメル山はパーリ語で sineru 山といい、

 その意味は「花山」である。

 稲荷を「イナリ」と読む理由も本実はここにあったと考える。

 稲は秦公(はたこう)の「秦(しん)」と

 その意味を同じくする。

 その漢語の訓音は qin で、

 英語の中国の呼称 chine の祖語と考えられている。

 よって中国(chine)の名称は秦国で

 秦は稲の種類名であることから「稲国」の意味となる。

 よって稲荷は「秦荷」とも内容的には表記でき、

 「シナリ」で sineru に符合する。

 つまり漢字で稲荷と表記されたのは

 秦公氏(秦中氏、田中家)と荷田家が

 奉祀する神社:秦荷社=稲荷社との背景があろう。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ  

2014年6月29日日曜日

稲荷:黄金山信仰(1)稲荷山④


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:673頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(3)稲荷山④

 稲荷大社においては、特に稲種が尊重されたとの理解ができる。

 宇迦之御魂を

 「倉御魂神」と「宇迦」を「倉」と表記している理由もそこにある。

 「倉:クラ」はサンスクリット語の kūra の音写で、

 その語義は「飯」である。

 よってその意味は「飯御魂」となり「稲御魂」と同義である。

 稲種に対する信仰である。

 同社の祭事稲荷祭は現在4月8日に近い日曜日は行われているが、

 今昔物語巻二八の第一話

 「近衛舎人どもの稲荷詣でに重方女にあふものがたり」しは

 「今は昔、衣曝(きさらぎ)の始午の日は、

  昔より京中に上中下の人稲荷詣でとて参り集ふ日なり」

 とあるとおり

 「如月の始午日」に行われた春耕祭で、

 また歌垣のような行事であったとみられる。

 歌垣には祝祭(殺牛祭)がつきものであった。

 「餌袋(えぶくろ)、破子(わりこ)、酒など持たせ、つれて参りける」

 とあるようにここが宇迦の山でもあった。

 春の歌垣が新畑祭で播種祭であることは記述のとおりである。

  お山には大杉大神あるいは大杉社、傘杉社がある。

 その「杉」はサンスクリット語の śuci(śucyah) の移入である。

 その意味は「輝く、光を発する、白く輝く」で、

 これは雷電、電光をいっているのである。

 傘も同じく kaśa で「光輝」の意味であり、

 インドラ神の武器である。

 佐田彦大神奉祀に合致する。

 山頂近くには「雷石」があり、「おせき社」がある。

 稲荷山は花山であり石山で、
 
 インドラ神話においてインドラ神は

 sumeru 山の svarga に住む。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
  牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

稲荷:黄金山信仰(1)稲荷山③


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:672頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(3)稲荷山③

  ここで第一章祝祭を再認してみなければならない。

 「ウケ」とは牡牛の意味であり、

 それはまた神饌を表わすものであった。

 豊宇気毘売神(登由宇気神)は「神饌神」であった。

 宇迦之御魂大神の「宇迦」はこのウケと同義である。

 西アジアにおいて祝祭で供犠された牡牛と小麦は

 一対の組合せであった。

 古事記に須佐之男命が切り殺した大気津比売神の屍から

 「頭に蠶生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、

  鼻に小豆生り、陰に麦生り、尻に大豆生りき、

  故、ここに神産巣日の御祖命、

  これを取らしめて種と成しき」

 日本書紀では

 保食神を月夜見尊が殺したとの伝承になっているが、

 「粟、稗、麦、豆を畠の種とし、稲を水田の種とされた」とある。

 「宇迦之御魂」とはこれら穀類の「種」を表わしているのである。

 つまり西アジアでの小麦は稲作地帯に入り、米に変ったのである。

 現在中国の雲南省の牛殺祭に牛頭にかけられるのは

 「ゴウ」と呼ばれる米粥である。

 日本でも最近まで殺牛の際には米を食べさせた。

 また飼育を牛を売り払う前日に

 ご飯を与えることは習慣になっていた。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 


  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年6月28日土曜日

稲荷:黄金山信仰(1)稲荷山②


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:671頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(3)稲荷山②

  延喜式神名帳には山城国紀伊郡に「稲荷神社三座名神大」とある。

 現在の祭神は次の五座となっている。

 「梁塵秘抄」には

 「稲荷をば三つの社と聞きしかど五つの社なりけり」

 とあるので平安時代初期に三座であったものが

 平安末期には五座となったことを示している。

  下社   宇迦之御魂神 <中央座>

  中社   佐田彦大神 <北座>

  上社   大宮能売大神 <南座>

  田中社  田中大神 <最北座>

  四大神社 四大神 <最南座>

 カッコ内は稲荷大社本殿内の配置を指す。

 これにより解かることは、

 稲荷大社の主神が宇迦之御魂大神であるが、

 お山においてはそうではなさそうだということである。

 中社の佐田彦大神とは猿田彦神の別称で、

 大宮能売神は天鈿女神の別称である。

 佐田彦神はまた塩土老翁神であり、

 つまるところインドラ神がその祖像である。

 大宮能売神は佐田彦の妻となり猿女氏の祖とされた、

 日本で古事記の天孫降臨により構想された組合せの妃神である。

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 


  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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稲荷:黄金山信仰(1)稲荷山①


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:670頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(3)稲荷山①

  稲荷山信仰は二つの部分に依って構成されている。

 一は伏見稲荷大社、

 二は「お山」あるいは「お塚」と呼ばれる

 山の頂方向の諸社である。

 だが、双方とも全く別というわけでなく

 混合され信仰されている。

 お山にある荷田社及び田中社は

 稲荷大社の奉祀家を成す二大族を表徴する。

 荷田氏は「カタ」で堅真音社の「堅」、「和佐」と同じく

 khatā を祖語とする「井、池、泉」で

 紀氏の系譜であることが明らかである。

 田中社は、

 石清水八幡宮の奉祭氏家「田中家」とも同根であるが、

 稲荷神社を元明天皇の和銅4年2月に祀った

 秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)の系譜である。

 忌寸は欽明天皇の幼時に夢見て捜させ寵愛したという

 秦公伊呂具の後裔である。

 田中は「畑中」と同義で

 「秦中(はたなか)」に符合するばかりでなく

 天道根命の「道根」に即応している。


 「秦公」についてその表字が太秦の秦氏と同じことから

 弓月君系統の秦氏とする見解がと通ってきたが、

 これは疑問である。

 「秦公」とは和歌山市宮地区の津秦にも表わされているように、

 紀氏の祖天道道根命の「道」である patha の音写である。

 同語は英語の「通路」を意味する pass (通過する)とも

 同根の用語である。

 田中社は稲荷大社の祭神田中大神である。

 稲荷山信仰はいずれはしても紀氏の信仰に係わる。

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年6月27日金曜日

稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏⑦


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:669頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏⑦

  伏見区深草鳥居崎町に藤森(ふじのもり)神社が鎮座している。

 「藤森」は「藤杜」あるいは「藤社」であった。

 この神殿の相殿に「藤尾社」があり、

 社伝に依ると、同社の前身であったという。

 藤尾は現在の稲荷大社のある地の古名で、

 その地主神が「藤尾社」または「藤野井社」であった。

 稲荷大社が盛んになる以前の神格が

 藤尾社であったことをうかがわせるが、

 これも紀氏の信仰が深く係わっていると考えられる。

 「藤尾(ふじお)」はまた「フジピ」で、

 そのサンスクリット語の puṣpa で「花」を意味し、

 sūna と同義である。

 稲荷大社の西方の一帯は「砂川」で

 かっての藤尾郷の地帯である。

 藤尾名は山科の花山など紀氏の「花」と深く係わる用語である。

 さらに「伏見」名もこの藤尾 puṣpa に由来している。

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏⑥


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:668頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏⑥

  伏見区御香宮前町に鎮座する御香宮神社にも

 境内には湧水があり、「御香水」と呼ばれている。

 現在の社地は

 伏見桃山城の築城のため遷されたところだが、

 泉がある所が選ばれており

 「井」に対するこだわりがある。

 神社名はこの「香水」に依るものと解釈されているが

 「香」は奈良市御蓋山南麓紀伊神社のある地を

 香山と称したと同じく kha (天空)の音写で

 紀氏を表わしており、

 同氏族が往古奉祀していたとみられる。
 
 つまり、石清水社と同じ理由である。

 貞観4年に清泉が湧き出て病人たちが飲む回癒したとの

 伝聞が朝廷に聞こえ、

 「御香宮」の社号を賜ったという伝承の根底には

 「聖水」信仰がある。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2014年6月26日木曜日

稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏⑤


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:667頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏⑤

  石清水八幡宮の祭事は毎年9月15日に催される

 「石清水祭」がある。

 その時の神饌として食膳と共に

 12台の「御花神饌」が供えられる。

 「松・藤・つつじ・鳩」

 「梅・福寿草・うぐいす」

 「桜・山吹・蝶」など四季の花樹と動物・鳥・昆虫が

 それぞれにあしらわれたものである。

 この花に対する特徴的行いもこれまで述べてきた

 「花山」の概念の波及であろう。

 そして「石清水」と「石」を符していることにも通じる。

 伏見稲荷大社の祭神のうちに現在、田中大神があるが、

 石清水八幡宮の奉祀家田中家との関係を想起させる。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏④


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:666頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏④

  宇佐神宮の祭神がウーシャス ūsas で、

 その子がアシュヴィン āsvin 双神であり、

 紀氏はインドの同じ系譜の神々を

 奉祭することとなり統一がとれる。

 インドラ神の系統については第八章のうちの

 「インドの神々」で紹介してある。

 また「八幡神」についても第五章のうちの

 「ノアの系図(1)ヤペテの子孫」で触れたが、

 宇佐宮は本来上記のウーシャス神、アシュヴィン双神の

 三神が主祭神であったが、

 後に誉田別命、息長帯比売命を祀ることにより、

 八幡宮( avatāna 権化/ヤペテ)となったのである。

 そのため宇佐八幡宮祭殿の中央には比咩大神、

 左右に田別命、息長帯比売命と主祭神が

 脇殿に鎮座しているという

 一見不可解な配置になっているのである。

 宇佐神宮の社殿の壁が朱塗りされているのは、

 ウーシャス神が曙神であることから

 その暁の陽色を表現しているからである。

 岩清水八幡宮から平成3年になって神像八体が発見された。

 そのうちに女神坐像二体、童形神坐像が五体あった。

 女神像はウーシャス神を、童形神像は製作年代がばらばらで

 双神の構成にはなっていないが、

 宇佐八幡宮にもあるようにアシュヴィン双神(童子)を表わし、

 宇佐神宮の古層の信仰が踏襲されていた証である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年6月25日水曜日

稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏③


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:665頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏③

 和歌山市の紀氏の本拠である宮地区には、

 「出水(でみず)」または堅真神社の「堅」、

 その東側の和佐地区名は「井」であることなど

 「水」に係わる地名が多い。

 この「水」こそ「岩清水」に相応し、

 鎮座する山名「男山」の原義である。

 「オトコ」はサンスクリット語の「水」を意味する

 udaka の転訛で、その意義には

 「聖水を供えること、浄水」があり、

 「男山」の本義は「聖水山」となる。

 八幡宮のうちには水分社、水若宮社、灌頂堂など

 「水」に係わる神徳が備えられている。

 紀氏に連なる僧が宇佐八幡宮を
 
 なぜ勧請したかについての推測であるが、

 和歌山市宮地区の鳴神社、堅真音神社などは

 雷神であるインドラ神を祭っていたとの説明をしたが、

 このインドラ神は空界の代表の神であるが、

 その「空」を神名としているのがディヤウス神で、

 その娘がウーシャス神である。

 リグ・ヴェーダに詩われた讃歌に神の娘(天の娘)と呼びかけられる。

 紀氏名は kha の音写で

 「天空、空虚」を表わすと述べられたが、

 ディヤウス Dyaus も「大空・虚空」などであり同義である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年6月24日火曜日

稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏②


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:664頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏②

  山城国における紀氏の存在は、

 伏見区の西南に位置する八幡市に鎮座する

 岩清水八幡宮の奉祭氏族が紀氏であることによって知られる。

 「岩清水八幡宮護国寺略記」によると、

 紀氏の一族である南都大安寺(奈良)の僧行教が

 貞観5年(863年)に宇佐八幡宮の祭神を移座したという。

 行教が宇佐宮に参着中

 「都の近くに移座し国家を鎮座せよ」との信託を受け、

 山崎辺りまでやってきた時、

 また「移座するところは岩清水男山の峰なり」との

 託宣を受けたものと伝える。

 しかし、

 本当のところはここが紀氏の勢力にあった痕と考えられる。

 八幡宮が遷座される以前に

 既に現在同社の摂社となっている岩清水社があったとみられる。

 なぜならば、

 岩清水社には今でも清水が湧き出る泉(井)があって

 神聖視されていたからと考えられる。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年6月23日月曜日

稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏①


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:663頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏①

  京都市伏見区は和名類聚抄がいう「紀伊郡」の地である。

 史料における初見は日本書紀「欽明天皇」条に

 「天皇幼き時、夢に人有りて云う」。

 『天皇が秦大津父(はたのおおつち)という者を寵愛されれば、

  壮大に及んで必ず天下を有(あ)らされる』。

 寐(ねさ)鷩めて使いを遣わして普(あまね)く求めると、

 山背国の紀郡の深草里にて(その人を)得た」とある。

 ここに秦氏が存在したことを示す史料でもあるが、

 「紀郡」の名称は紀氏の存在を推測させる。

 「紀」は紀氏の氏姓に由来するものだろうか。

 東隣の山科には紀氏の影響のあった証が十分であった。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年6月22日日曜日

稲荷:黄金山信仰(1)花山④


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:663頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)花山④

 「イナリ」は sumeru のパーリ語された名称

 sineru の転訛である。

 この山系には岩、石、砂のつく地名が極めて多い。

 大岩山の南方伏見区の石田から小栗栖の岩山町、石川町、

 深草の白砂町、砂子谷町、砂川、

  そして稲荷山の麓に石峰寺があるように

 稲荷山の山中には「剣石」あるいは「雷石」があり、

 「おせき者」が鎮座する。

 ここは石山である。

 「砂」は単に「石」を表わしているだけでなく、

 sūna の音写でもあり、

 稲荷山が花山であることを示している。

 和名類聚抄「紀伊郡」の八郷のうちには

 「石原郷」「紀伊郷」の二つの「石」を符された郷名があり、

 山城国紀伊郡に

 古来「石」に因んだ文化があったことを物語っている。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年6月21日土曜日

稲荷:黄金山信仰(1)花山③


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:662頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)花山③

  スメル山はヒマラヤ山から想像された山で、

 その基礎は「岩の堆積した山」

 つまり岩(石)山である。

 su-meru の meru はその訓音の近似する maru に依る。

 その意味は「山、岩、石、砂漠」で、

 su-meru(maru) は「美しい岩山」となる。

 その概念で名付けられた山名が

 西野山の南方にある大岩山であり、

 西野山にある岩ヶ谷町名となり、

 その北方花山に連なる清水山を中心とする

 東山(ひがしやま)の山系名の起りでもある。

 「東」は「アズマ」で、サンスクリット語の

 aśman の転訛で「岩、石」を意味し、

 京都市東山区、山科区、伏見区の

 区境を形成する山地をスメル山とする

 概念が貫かれている。

 その概念は滋賀県大津市石山まで包含するものである、

 そしてその中央に立つのが

 三つの区の境に位置する稲荷山である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ