2012年4月27日金曜日

安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:32頁


 『安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様
 「安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様

 『日本書紀』は

 大化改新の敗者を蘇我入鹿だとしているが、

 その真相はもう御存知である。

 改新前には<ダイオウ>=俀王は愛媛県の宇和にいた。

 聖徳太子の<ウワノミヤ>=<上の宮>はそれを記録している。

 俀王の姓は「阿毎」だった。

 この毎の字の隋の発音は「ベ」で、沖縄語では「パィ」。

 <裴世清>の耳には「アベ」と聞こえたのである。

 ところが大隅語では毎は「マイ」、

 薩摩語では「メ」と発音するから「阿毎」は<アメ>。

 天を<アメ>と読ませる

 『日本書紀』は薩摩語で書かれていることがわかる。

 『記・紀』に登場する「天」の名乗りは、

 『隋書』が書く通り皇族を示す名乗りである。

 <安部>・<阿部>と書く当て字は<裴世清>が聞いた発音通りである。

 いま出雲におられる安部さんたちは、

 まぎれもなく俀国様=<大国主>の尊の直系で本家なのだ。

 『三国史記』は入鹿を泉蓋蘇文と書く。

 泉は出水(イズン)、

 それが島根県へ行ったから

 出雲(イズン)という国名が生まれたのである。

 生きていた入鹿が出雲へ移った<大国主>なのだ。

 これが『日本書紀』の書く『国譲り』の中核。

 最も書きたくて、しかも書けなかった史実の真相なのである。

 天智天皇は入鹿を殺していない。

 彼は建国以来の天皇憲章を守っている。

 <泉蓋蘇文は高句麗の支配者>で

 <天智天皇は日本国十半島新羅の支配者>である。

 <斉明天皇は倭国の支配者>で山奥の飛鳥に逃げていた。

 これが「倭国と日本」統一直前の真実の姿だったのである。

 『参考』
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2012年4月26日木曜日

最終移住者の大国主は百済出雲人=大化大戦の敗者




 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:31頁


 『最終移住者の大国主は百済出雲人=大化大戦の敗者
 「最終移住者の大国主は百済出雲人=大化大戦の敗者

 では、移住はなぜ平和裏に行なうことができたのであろう?。

 それは移住がとてつもなく大規模だったことを示している。

 先住民は争えず、受け入れざるをえなかったのである。

 そんなものは、大化大戦時以外、考えられない。

 半島百済が半島から追い出されて

 大量の引揚げ者が本州へ雪崩れ込んできたとき、

 最も近い山陰に百済出水(ホセイヅン)(ポセイドン)人が

 上陸したことは、

 「いわみ=大群が蝟(い)集したことを意味する」

 古語で=石見の国(島根県)。

 岩美町(鳥取県)という、

 ダブル地名が今も現存することで、疑いの余地がない。

 またそこには<因幡の素兎の伝承>がある。

 彼は<ワニ>=<倭人>を騙して海を渡って来た。

 しかし要求通りの脱出費が払えず、

 結局は身ぐるみ剥がれてしまった。

 それを<大国主>=旧天皇が、

 「ガマ(我慢して)の穂綿(ほわた)

  (<ホ>は<日本>・<ワタ>は<海>=戦勝国・日本の海軍)にくるまれ

  (敵対せず日本の国民になれ)そうすれば助かる」と教え、

 自分も苛酷な運命に逆らわずに大きな荷物を担いで、

 横暴な兄=天智天皇たちに従ったというのが、

 この寓話の真相なのである。

 この<イナバ>も「倭奴国(イナハ)」で、

 因幡は倭人居住地を示す差別地名を嫌って、

 後に変えた文字だということになる。

 大化大戦は枚方市が決戦場で、

 その近くに守口市の<佐太>がある。

 <大国主>は、

 そこから

 <京都の嵯峨>、

 <鳥取の境港>を経由して

 <出雲の佐田>に着いたのである。

 『参考』
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2012年4月25日水曜日

祭神たちは移住支配者が南九州から持ちこんだ神々




 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:30頁


 『祭神たちは移住支配者が南九州から持ちこんだ神々
 「祭神たちは移住支配者が南九州から持ちこんだ神々

 5 山陰の出雲が南九州の出水から分かれて大国化したことは、

   疑いの余地がない。

 6 すると地名も、領主たちも、

   南九州からの移民である。

   その地域を支配したのは土着の人たちではなく、

   元・南九州人たちである。

   その人たちが祀ったのは南九州の神であり、

   それは皆、支配者たちの肉親や祖先たちであって、

   出雲の先住民の肉親ではない。
 
 7 さらに<素戔嗚>と<大国主>は、

   ともに他からの移住者である。

   これで判定すると出雲へ移ってきたのは位宮と卑弥呼とその一族か、

   その子孫たちである。

 8 その伝承は時代の異なる2神が、

   どちらも外部から移住してきているから、

   <素戔嗚>だけが移住して来て

   <大国主>は出雲生まれだとする説は完全に間違っている。

   これは<素戔嗚>の八俣大蛇退治を出雲での事件だとする

   解釈が根本的に間違っていることを立証しているし、

   <大国主>の国譲り事件も、

   明らかに出雲以外の事件で、

   その後に出雲に移住して来ている。

 9 出雲各地にある、

   この2事件関連の人物を祀る神社や住居址は、

   後世に作られたもので、

   そこに本人が住んで事件があった史実の遺跡ではない。

 10 これは南九州の事件である

   <位宮>と<卑弥呼>と<壹與>の史実が、

   <浦島太郎>・<桃太郎>・<赫夜姫>のお伽話になって、
 
   丹後や木曽・陸奥・京都で、

   地元の事件として語られるのと同じである。

 『参考』
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2012年4月24日火曜日

出雲は政権の拡大に伴う移住者が造った国か?




 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:29頁


 『出雲は政権の拡大に伴う移住者が造った国か?
 「出雲は政権の拡大に伴う移住者が造った国か?

 では何故?

 出雲に関連地名があり、

 そこに関連人物が神として祀られているのであろう?。

 神官が書いた『社記』や『縁起』にも、

 また『古代日本正史』などの「解説書」にも、

 いかにもその土地で祭神が生まれ、

 それが地名にも反映しているように書いてある。

 しかし以上みた所では、それはあり得ないという結論しか出ない。

 この点をさらに深く考えて見よう。

 1 出雲は最初からそこにあったのではない。

   <倭>と<日本>が分立していた時代には

   山陰に日本の領土は絶対にない。

   地名、国名が、沖縄などで発生したあと、

   次第に大きくなりながら、北上し、

   東に分布していった痕跡が、全面的に明瞭に見てとれるし、
         
 2 例の奴国(ノマ)が『魏書倭人章』の中だけでも、

   分裂して2ヵ所に分かれ、

   北のものは大国化した事実が、

   明瞭に記録されているからである。

 3 また出雲の語源も。

   ポセイドンであり、

   百済・出水と当て字したものから

   さらに出雲と当て字されたこともわかっている。

   その百済・出水の分布は南九州から始まっている。

 4 さらに<大国主>伝承の中心になっている史実が、

   卑弥呼政権から壹與政権への国譲りであり、

   それが天照大神と素戔嗚の尊の誓約(うけひ)であり、

   それは薩南諸島から進攻した位宮が卑弥呼と争った史実であり、

   現に<卑弥呼>は<大穴持>として国分市に祀られている。

 『参考』
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2012年4月23日月曜日

日本人の権威と誇りを踏みにじるマンガ本対策




 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:28頁


 『日本人の権威と誇りを踏みにじるマンガ本対策
 「日本人の権威と誇りを踏みにじるマンガ本対策

 ご覧の通り、

 寓話を史実と勘違いした昔の神官が、

 それを利用して建てた祠に、

 勿体づけに考案した由緒(ゆいしょ)を鵜呑みにして、

 大国主像を組み立てたものに過ぎない。

 本当の史実である国家の経倫を語る比喩は、

 完全にお伽話になり下がって、

 子供向きのマンガ本程度の幼稚さにまで下落してしまっている。

 これではラフカディオ・ハーンが紹介した

 明治以前の出雲観と少しも違わない。

 それを今になって権威ありげに出版物にして、

 欧米の蔑笑をさらに強めるというのは、

 全く時代をわきまえない反逆行為だというしかない。

 歴史をオモチャにするマンガ作家とともに、

 売れればいいという卑しい心理と倫理感の欠如が、

 我が国の子供たちの未来を真っ暗にしているのである。

 私たちはそれを傍観してはいられない。

 既に『記・紀』がどんな書物であり、

 その内容が高度の文明が生み出した知性の結晶であり、

 世界に誇るべき最高の理想を実現しようとする教科書だったことを確かめた。
 
 それを少しでも速く国民の教養にするため積極的に行動して、

 正しい真の祖国観を、

 全国民の教養にまで高めなければならないのである。

 これについては言語復原史学会の「安部忠宏」山陰支部会長と、

 正会員・中庸学研究所長の宮川謙二先生とが、

 良い具体策をご検討になっている。

 なにとぞ諸先生方もご協力の程を、

 心からお願い申し上げたい。


 『参考』
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2012年4月22日日曜日

地域伝承まる写しの大国主像とは、こんなもの




 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:27頁


 『地域伝承まる写しの大国主像とは、こんなもの
 「地域伝承まる写しの大国主像とは、こんなもの

 *343頁

  一族は、松江市の南に住んでいたが、

  あの大橋の北へ兄弟みんなで狩りに行った時、

  何か義兄たちを怒らせて、半殺しにされた。

  その場所を調べたら、

  松江駅から北へ四キロぐらいの、

  今の浜吉町で、驚谷と言ったところらしく、

  そこに、

  この時、仮死状態になったのを、

  介抱して生き返らせたと伝わっている

  「宇武加比比売(うむがいひめ)」を

  祀った法吉(ほつき)神社があった。

  このウムガイ姫は、

  その時いっしょに大国主を介抱したと伝わっているキサカイ姫と共に、
 
  今の出雲大社の内陣に、

  「いのちの社」として別棟に祀られている。*

 *344頁

  素佐之男の死後、

  出雲と九州の広大な国を相続したので、

  「大国主」という通称になったので、

  本名の大己貴尊だけで、他に別名は見当たらない。

  185年頃、

  素佐之男が死んでから、

  約三十年間ぐらい出雲と九州を統治して、

  215年頃。

  割合早く、55歳前後で亡くなっている。

  性格的に、軍人や政治家向きではなかったらしく、

  むしろ学者肌の人だったらしいことは到るところの記録に出ている。

  そのため、

  後世、どこにも医学の神、薬学の神、

  獣医学の神様として祀られるようになったようである。

  例えば、

  伊和神社 兵庫県一の宮町 (記録)大己貴神、

  又の御名を大名持御魂大国主神とも申し上げる。

  …最後に伊和里(当地)に来まして鎮まりました。

  社伝に成務天皇甲申歳の創建と伝う。*

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2012年4月21日土曜日

女王制の根源はカリエン勢力の拡張



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録10:12頁
 《女王制の根源はカリエン勢力の拡張
 「女王制の根源はカリエン勢力の拡張

 『倭人章』にはこのほかに

 「所 有無 與 儋耳 朱崖 同」とある。

 この儋耳・朱崖は中国広東省の海南島にあった地名で、

 現在の儋県と瓊山県に当たるが、
 
 そこの住民の主流は、黎(リ)族と呼ばれるカリエン人である。

 そのカリエン人が古代沖縄の貝貨産業の中核であったことは、

 私の研究で今では広く内外に知られているが、

 その遺物が現在も

 「読谷花織」=ユンダンハナウイ」という特殊な織物技術として残り、

 江戸時代に描かれた風俗画でも、

 沖縄の人々が『倭人章』が書く倭人の貫頭衣をなお着ており、

 女性の宗教的指導者が海漁を船上で指揮している姿が生々しく描かれている。

 この人々の本流は現在ではミャンマーからタイの奥地、

 中国雲南省へかけて住んでいるが、

 その伝統的服装は、以上の貫頭衣そのままであり、読谷花織と同じものを今も織り、

 今も部族によって異なる入れ墨を伝統として彫っている。

 さらに何にも増して面白いのは、

 現代も女性首長制度が守られていることで、

 卑弥呼政権の女王制度が何によって生まれたものか、はっきりと教えてくれる。

 「もと男王制」だったものが、女王制に変わり、

 卑弥呼の死後も大乱のタネになったのは、

 このカリエン人勢力が拡張して指導権を撮ったためだったと、

 細部まで、はっきり理解できるのである。

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建国の大理想を根底から破壊する幼稚本の実例




 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:26頁


 『建国の大理想を根底から破壊する幼稚本の実例
 「建国の大理想を根底から破壊する幼稚本の実例

 今、出雲や各地にある<大国主>を祭る神社は、

 本質的には前君主をしのんで建てられた御霊(みたま)の(よ)拠りしろであって、

 そこへお参りするたびに、以上のような先人の知恵を想い出し、

 戒(いましめ)めとするための、英知の産物だったのである。

 しかし賢者ばかりはいない。

 時代とともに物知りぶった連中が、

 根拠もなしに勝手な解釈を人々に押しつけて、

 その社に祭られている本当の神霊を冒涜し、

 偽物の名を並べたてて化け物の住みか同然にしてしまっている。

 それをさらに先の原田某のように、

 売本に仕立てて売るという者まで現われるのが実情である。

 それは4大文明の結晶として天皇家が生まれた英知の結晶『神道』を、

 まるで田舎の野蛮な迷信の野祠(ほこら)同然のものに貶(おとし)め、

 天皇家の大理想を根底から破壊しているばかりでなく、

 住民も迷信としてかえりみなくなり、

 荒廃にまかせる悲惨な状況を助長しているからである。

 彼は大国主をこう説明している(『古代日本正史』342P)。

 *出生年は、大体160年頃と推定される。

  出生地は出雲の隅々敷谷(くまぐましきや)、

  現在の飯石郡三刀屋(みとや)町熊谷である。

  ここは、あとでわかった

  大国主の館の跡三刀屋町給下(きゅうげ)から南に下りた場所である。

  父母は不明。

  180年頃、

  素佐之男尊の末子、

  相続人である須勢理(すせり)姫の養子になり、

  素佐之男の死後、出雲から日向まで、

  つまり、

  山陰地方から九州全土まで広大な国を相続して大国主と呼ばれた。*

 『参考』
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2012年4月20日金曜日

大国主天皇とマッカーサー・ニニギの命の国譲り




 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:25頁


 『大国主天皇とマッカーサー・ニニギの命の国譲り
 「大国主天皇とマッカーサー・ニニギの命の国譲り

 それが必然的に行き着く所は、

 本来の国是とは正反対の、侵略、拡大政策だった。

 天皇家の「八紘一宇」は、

 強盗の偽装用美辞麗句に転落してしまった。

 だから敗戦は当然のことだったのである。

 そして満洲国という大国が生まれた。

 一見、

 中国が前皇帝に国を譲った形に見えたが、

 それは大国主の国譲りとは、

 似ても似つかぬ偽物だった。

 その場げ句の果ては連合軍の猛攻撃に晒されて、

 日本列島は焼け野が原になり、

 短期間だが大日本帝国はマッカーサーに国を譲って、

 被占領国になり下がってしまった。

 この時の大国主命は昭和天皇。

 譲られたのはアメリカ人のマッカーサー・ニニギのミコトだったのである。

 これもまた

 『記・紀』の『神託』『予言』通りであって、

 それに逆らった<建御名方の神>も追い詰められて戦犯として処刑された。

 先祖が辛苦して築き上げ、

 その維持発展の鉄則を書き残してくれていたのに、

 それに逆らって、まるで反対のことをしたために、

 マッカーサーより偉くない天皇が出現してしまったのである。

 この事実をただ口先で糊塗して責任を回避し、

 逆にそれ見たことかと罵倒した左翼学者もいたが、

 彼等が残した哀れな『記・紀』観は、見るに耐えない。

 しかしそれも真実の『記・紀』の哲学の高さを証明するよすがにはなる。

 それは、明治以降の愚行をもう二度と繰り返さないための、

 『心の鍵』として役立てるしかないが……。

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2012年4月19日木曜日

天皇制を生んだ教養は4大文明が1つになった産物



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:24頁

 『天皇制を生んだ教養は4大文明が1つになった産物
 「天皇制を生んだ教養は4大文明が1つになった産物

 血統によって皇位を維持するという原則を不動のものとする天皇制は、

 外部からの侵略者たちには絶対に政権を譲らないという鉄則で、

 なによりも「外憂内患を防ぐ」効果があった。

 事実、それは南北朝のような小波乱はあったものの、

 現実に比類ない効果を挙げて、

 記録があるだけでも二千年に近い、

 世界でも希に見る、長寿政権の記録をつくった。
 
 さらに事実は、それが考案された時期は、

 『記・紀』が書く神武天皇即位年よりも、

 さらに遥かにさかのぼって、

 三千年以上にも達する証跡が数おおく残っている。

 それは何故なのか?…。

 理由は簡単なのである。

 その高い理性を生んだものは、

 当時人類の最先端で花ひらいていた4大文明が1つになって、

 その教養を生み育てていたからなのである。

 世界の東端の孤島にだけ住んできた列島土人なら、

 絶対にありえなかった教養が、

 巨大文化を消化して身につけた冒険者たちによって、

 次々に運ばれてきた、

 この奇跡がなければ絶対に生まれるはずのない素晴らしい政治システムが、

 天皇制として、この孤島でテストされてきたのである。

 これが理解できないと天皇家は無用になる。

 不適当な皇族が生まれると当然弱体化する。

 国民の無知化を推し進めた

 明治、大正、昭和前半の義務教育は、

 天皇家を西欧の特権階級化して、

 革命で滅亡する王家の一つにし、

 真の天皇家ではなくしてしまったのである。

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2012年4月18日水曜日

『記・紀』以後にも起こった「国譲り」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:23頁

 『『記・紀』以後にも起こった「国譲り」
 「『記・紀』以後にも起こった「国譲り」

 では次は、国譲りは『記・紀』完成以後にも、

 現実に起こったというお話をして、

 それが<予言>でもあることを立証してみよう。

 南北朝時代として知られる天皇家分裂の歴史は、

 もう説明するまでもないと思う。

 吉野に移った後醍醐天皇たちは、

 <大国主>と違って北朝を恨んで死んだ。

 しかしそれで天皇家はダメになったか。

 大化の改新と同じく、

 南朝の当事者たちは滅びたが天皇制は崩れず、

 国を譲られた北朝はそれ以後も連綿と永く続いて現在に至った。

 それは何故か?。

 それはこれまでお話ししてきたように、

 制度の出発点に

 *内乱を防ぎ、よりよい世界を育てて、

  それまで、争いに勝って政権を得るという

  「野獣システム」だった人類社会を、

  親子兄弟が愛しあって生活する美しい一軒の家のように、

  愛で政治する世界に進歩させる*

 という理想を、国是として実行してきたからである。

 そのためには、

 天皇は普通人のもたない修養と教養を身につけて、

 神のような英知を持たねばならない。

 そうすれば国民がそれを信じて従う間は、

 暴力で奪った政権のように、

 敵に満ちた国にはならず、

 内乱に攪乱されない国は学問、経済が相まって発展し、

 人口が殖え、国富が増して富み栄える。

 このように

 「国民のために天皇家がある」限り、

 天皇家は国民の支持を失わない。

 それは為政者が変わり続ける

 民主主義よりも上だからである。

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2012年4月17日火曜日

皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:22頁

 『皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る
 「皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る

 もうひとつ「国譲り」で忘れてならない重大な機能は、

 「天皇家はいつ、誰から国を譲りうけて天皇になったのか?」

 という疑問に答える点である。

 それは日本列島はもと大国主のものだったが、

 それを外来者の天皇家が、平和裏に譲り受けたのだ。

 という経緯を説明している。

 日本人は単一民族なんかではない。

 天皇家は渡来人だったと明言しているのである。

 ただし、脅迫はしているが虐殺はしていない。

 <大国主>には「大国主」という旧称を許し、

 贅沢な宮殿に住まわせている。

 これは聖徳太子の国是

 「和をもって貴としとなす」と共に、

 天皇家の基本方針が、
 
 「愛と平和」にあったことを強調しているのである。

 『日本書紀』も『古事記』も、それを領国の初めとしている。

 それ以前の天皇家の歴史は、

 この2つの『正史』には共に書かれていない。

 だからいつ天皇家が発生したかは不明のままなのである。

 ただ『日本書紀』には漠然とした記憶があって、

 紀元前660年を神武天皇紀元とした。

 それをこの講座で追及してみて、根拠のないものではないことを突き止めた。

 ということは<大国主>の国譲りは

 660年よりも古い歴史だと主張しているのである。

 それはギリシャ人たちが、ギリシャにも入らない前の記憶である。

 とすればそれこそギリシャ神話の冒頭にあるウラノスの時代しかない。

 これが『大国主(ウラノス)国譲り』の記憶第1号だったのである。

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2012年4月16日月曜日

『記・紀』は絶対に『説話集』ではない



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:21頁

 『『記・紀』は絶対に『説話集』ではない
 「『記・紀』は絶対に『説話集』ではない

 では『記・紀』は「説話集」なのであろうか?。

 『日本書紀』持統天皇まで書き、

 後になるほど正確な記録の量が殖える。

 また神代部分も「一書」をみると、

 記事にかなりの違いがあるものの全体像は同じである。

 当時の情報の伝わり方を考えると

 それらは現実にあった事件の記録だと証言している。

 石比売の嫉妬も説話ではなく史実だとみるしかない。

 この結論には、もう1つ強力な証拠がある。

 それは安寧天皇以下、

 開化天皇までの7代が事件記事を全くもたず、

 在来の学者から「欠史天皇」と呼ばれていた事実である。

 ところがもうお判りのように、

 孝霊天皇は経津(ふつ)主と

 「フツのミタマの持ち主」として実在が確認でき、

 孝元天皇=彦国牽(ひこくにぴく)も、

 「崇神天皇紀」の彦国葺(ひこくにぶく)と同一人だとわかっているから欠史ではない。

 それに説話集なら幾らでも記事は書けるから、

 欠史天皇をそのままにしておく必要はない。

 それが書かれずにいるのは、

 『記・紀』は「説話集」ではないという強い証拠なのである。

 それなのに頭から「『記・紀』は「人造亡霊だった」とか

 「日本書紀は8割がウソだった」
 
 (原田常治『古代日本史』)というようなことを、

 自慢げに書いた本が実在する。

 そんな人の書いたものを信じる人がいると思うと、

 ただでさえ軽蔑されてきた日本人と皇室は、

 その噂だけで、世界の片隅へ追いやられ、

 テロの手頃な標的にされることになる。

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2012年4月15日日曜日

記・紀』のもつ機能は高度文明の生んだ哲学の産物



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:20頁

 《『記・紀』のもつ機能は高度文明の生んだ哲学の産物
 「『記・紀』のもつ機能は高度文明の生んだ哲学の産物

 これと同じ筆法で、

 人皇時代に入っても、

 神武天皇の皇太子・多芸志(タケシ)耳の横暴と、

 それを倒した弟の綏靖(すいぜい)天皇の即位の正当性。

 仁徳天皇皇后の石比売の嫉妬話。

 墨江中王の反逆など、

 帝王学の教科書として必須の題材が並べられている。

 それは、これを犯すとどういう結末がくるかという<神託>であり、

 <予言>であり、<判例集>であり、<皇族全部の教科書>でもあったことが、

 もうよくおわかりだと思う。

 それは神代の部分だけの機能でも、役割でもない。

 しかし仁徳天皇は国民の貧窮を炊事の煙の量で察知し、

 免税して自分も空腹に耐えたと、

 天皇とは、どうあるべきかを教える教材になり、

 それによって、せっかく繁栄がもたらされたのに、

 愚かな子孫の安康天皇や武烈天皇が、

 権力を乱用して身を滅ぼし、

 天皇家を衰微させたという実例も挙げている。

 そして僅かに手白髪皇女によって万世一系が保たれ、

 <婿養子として入籍した継体天皇>が、

 応神天皇の5世孫だったと、

 皇位継承法の法規と教科書になっているだけでなく、

 天皇制を維持するためには血の問題がいかに大切かを強調している。

 こうしたことを見ると、

 『記・紀』は、諸外国の単なる史実記録より、

 一段も二段も上の思想体系が働いた、

 高度文明の持ち主による政治の在り方、

 帝王というものの存在理由まで思考した、

 非常に高度の『哲学』の産物だったことが、

 よくご理解戴けたと思う。

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2012年4月14日土曜日

過去の『出雲神話論』が総て無意味である理由



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:19頁

 《過去の『出雲神話論』が総て無意味である理由
 「過去の『出雲神話論』が総て無意味である理由

 こうしたことが現実に実在していることに注目した上で、

 『記・紀』を論じるのでなければ

 『記・紀』の本当の内容は語れないことが、

 おわかりになると思う。

 出雲神話と呼ばれてきたものが、

 「国譲り=皇位継承」の基本理念を教え、

 有効無効を裁決するための憲法だったことが、

 先ず充分語られた後でなければ、

 どんなに解説してみても無駄だからである。

 それは『記・紀』を

 『魏書倭人章』のような「歴史記録」だと無批判に錯覚したままで、

 国譲りを村長の交替ていどの事件記録だと思い込み、

 スサノオを暴力による政権奪取者だと思っていたのでは、

 どんなに名前や地名を持ち出しても、根底から間違っているからだ。

 スサノオの八俣大蛇退治を語ろうとすれば、

 それを『記・紀』の冒頭に配置した天皇の、

 強い意図をまず突き止めなければならない。

 天智天皇が『原・日本書紀』を作らせたとき、

 彼が倭国の前帝=天照大神を何故?討たねばならなかったのか?

 という動機と理由を明確にして、

 彼の行為が正しかったという法的根拠を提示する必要があったのである。

 すると八俣大蛇は、毎年、処女を奪いにくる。

 これは巫女として美女を集め、

 宮殿や宗教設備を築造するといって一家の働き手を労役に狩りだし、

 高い税を徴収する役人が横行して国民が泣いたことが

 「斉明天皇紀」に書いてある。

 大蛇はその要約だとわかるのである。

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